出雲大社別火氏の謎記事一覧

身逃げの神事の概要出雲大社には、「身逃げの神事(亦の名はみみげの神事)」という不思議な祭祀がある。「しまね観光ナビ」の説明をお借りすると、下記の通りである。8月14日深夜(午前1時)境内の門はすべて開放され、禰宜(ねぎ)は本殿に参拝し、大国主命の御神幸(ごしんこう)にお供する。湊(みなと)社、赤人(あかひと)社に詣で、稲佐の浜の塩掻島(しおかきしま)で祭事を行い、国造館から本殿へ帰着する。この神...

中世 出雲大社の前には大きな湖が広がっていた。奈良時代には出雲大社の前には、神門の水海という大きな湖があった。中世にも依然として大きな湖として、水運を担った港があった。近世には、河川堆積により一気に埋め立てられたとされる。神門(かんど)の水海(みずうみ)。郡家(ぐうけ)の正西四里五十歩の所にある。周りは三十五里七十四歩ある。中には鯔魚(なよし)・鎮仁(ちに)・須受枳(すずき)・鮒(ふな)・玄蠣(...

宍道湖の最西端宍道湖の沈む夕日を眺めていると、宍道湖の遥か遠くに、宍道湖に浮かぶ一つの島に夕日が落ちていくように見える。しかしながら、宍道湖の西にそんな島などは無い。宍道湖に沈む夕日一つの島に見えるのは、実は出雲国西部の山である。それも、一つの山ではなく、「鼻高山」と「旅伏山」が重なりあって、一つの山に見えている。弥生時代から奈良時代ごろまでには、宍道湖は鼻高山の麓付近まで、宍道湖が広がっており、...

旅伏山の麓平田の町を見下ろす旅伏山(たぶしさん)『島津家久上京日記』によれば、戦国時代には平田まで宍道湖があり、平田は港町であった。宍道湖は現在は、汽水湖であるが、「蓮一町はかり咲乱たる中」というように、ハスが一面に咲き乱れている風景が書かれており、この当時の塩分濃度はかなり薄かったと思われる。これはいったいどういうことだろうか? 斐伊川は、いまだ、宍道湖ではなく神門の海を流れていたはずである。...

杵築(出雲)大社社家順名書近世における出雲大社の上官社家は、向家文書の『社家順名書』を見る限りでは、北島・千家の両国造家 合わせて17人であり、北島方8人+千家方8人+別火家だったと思える。それ以前はどうだったかと云うと、『向家文書』(現代語訳)によると、一、上古より(出雲)国造(54代)孝時の世に至るまで、上官は7人いた。一三四三(康永2)年に国造が(北島と千家に)別れたとき、上官は3人ずつ両...

赤人社「湊社の次には赤人社を詣でるが、この祭神も別火氏の祖である。」(千家 尊統著 『出雲大社』 学生社発行)とあった。赤人社の祭神は、万葉歌人 山部赤人である。(→ ウィキペディア 山部 赤人 )別火氏の先祖がなぜ山部赤人なのか、さっぱりわからない。『雲陽誌』(1717年)にも、大社町「赤塚」の地名起源として、山部赤人の塚のことと、書かれている。赤 塚古老傳に曰和歌の仙山邊赤人の塚あり、故に赤...

菟名手(うなて)出雲市の、昔朝山郷であったところに、豊国(現在の福岡県東部および大分県全域)の国造の祖と同じ「宇那手(うなて)」の地名がある。そこに櫛八玉命を祀る火守神社(ほもりじんじゃ)がある。(→ ウィキペディア 火守神社 )なぜに豊国と縁があるのか、いつからの地名なのか?火守(ほもり)神社 島根県出雲市宇那手町1315   出雲風土記(733年)には火守社とある。祭神 櫛八玉命。『出雲市地名...