五十猛命(いたけるのみこと)とは?

 

五十猛神社  島根県大田市五十猛町2349−1

 

 

五十猛命と書くので、現代には「いそたけるのみこと」と読まれたりもしますが、奈良時代には、「五十」は「い」と読んでいましたので、「いたけるのみこと」です。

 

『日本書紀』の記載には、4つのことが書かれています。

1.素戔嗚尊の御子であり、2人の妹神(大屋津姫命・枛津媛命)がいます。

 

2. 朝鮮半島の新羅に関係する神です。

 

3. 植林の神です。

 

4. 紀伊国の祖神です。

 

1,素戔嗚尊の御子

 

『日本書紀』によれば、素戔嗚尊(すさのおのみこと)の御子であり、大屋津姫命(おおやつひめのみこと)、枛津媛命(つまつひめのみこと)の2柱の妹神がいます。母神の名前は書かれていません。

 

 

2. 朝鮮半島の新羅に関係する神

 

『日本書紀』(一書の第4と第5のみに登場)では、素戔嗚尊と共に高天原から一時的に新羅(しらぎ)に天降り、そこから出雲国の鳥髪山に天降るという展開になっています。

 

一書(第四)にいう。

 

素戔嗚尊の行ないがひどかった。そこで神々が、千座の置戸の罪を科せられて追放された。

 

このとき素戔嗚尊は、その子、五十猛神をひきいて、新羅の国に降られて、曽戸茂梨(ソホル即ち都の意か)のところにおいでになった。そこで不服の言葉をいわれて、「この地には私は居たくないのだ。」と。

 

ついに土で舟を造り、それに乗って東の方に渡り、出雲国の簸の川の上流にある鳥上の山に着いた。(中略)

 

五十猛神が天降られるときに、たくさんの樹の種をもって下られた。けれども、韓地(からくに)に植えないで、すべて持ち帰って、筑紫から始めて、大八洲国に播きふやして、全部青山にしてしまわれた。

 

このため五十猛命を名づけて「有功(いきおし)神」とする。紀伊国においでになる大神はこの神である。(宇治谷 猛 訳『日本書紀(上)』  講談社文庫)

 

3. 植林の神

 

五十猛神は、高天原から持ってきた種を、朝鮮には蒔かないで、日本にまいて青山にしました。そこから、発展して、木の国(紀伊国の元の名)の大神になったということです。

 

一書(第五)にいう。

 

素戔嗚尊がいわれるのに、「韓郷(からくに)の島には金銀がある。もしわが子の治める国に、舟がなかったらよくないだろう」と。そこで髭を抜いて放つと杉の木になった。

 

胸の毛を抜いて放つと桧になった。尻の毛は槙(まき)の木になった。眉の毛は樟(くすのき)になった。そしてその用途をきめられて、いわれるのに、「杉と樟、この二つの木は船をつくるのによい。桧は宮をつくる木によい。槙は現世の国民の寝棺を造るのによい。
そのための沢山の木の種子を皆播こう」と。この素戔嗚尊の子を名づけて五十猛命という。

 

妹の大屋津媛命(おおやつひめのみこと)。次に枛津媛命(つまつひめのみこと)。この三柱の神がよく種子を播いた。

 

紀伊国にお祀りしてある。その後に、素戔嗚尊が熊成峯(くまなりのたけ)においでになって、ついに根国におはいりになった。(宇治谷 猛 訳『日本書紀(上)』  講談社文庫)

 

4. 紀伊国の祖神

 

木の神だから、木の国の大神になったと『日本書紀』の記事から読めますが、血統的にも古代豪族・紀氏の原型であったと思われます。

 

一般的に、紀氏は天神系の天道根命あるいは、皇族系の武内宿禰の末裔の氏族だと言われていますが、原型は出雲族(五十猛命等兄妹の系統)との説も濃厚です。
以下、太田亮氏の説です。

 

地神本紀に『素戔嗚命六世孫豊御気主命(亦名健甕依命)、此の命・紀伊名草姫を妻と為す』と載せ、また天孫本紀に『紀伊国造智名曽の妹中名草姫』と云ふも見ゆ。

 

此等の名草姫、国造智名曽、中名草姫は次項紀国造系中に見えず、且つ名草地方の豪族なるを思へば名草戸畔の後裔と見る方、穏当なるべく、

 

伊太祁曽以下の三神は出雲系の神にして、神武天皇御東征以前より名草の地に鎮座せられしものと考へられ、又名草戸畔は御東征当時、この地にて勢力を振ひし大豪族なれば、恐らく名草戸畔は出雲系の豪族にして、此等三神を奉斎し以つて此の地方に威を振ひしものと思考せらる。

 

よりて地神本紀に五十猛以下三神を挙げ紀伊国造奉斎の神となす、紀伊国造は、古くは此の出雲系の国造を指せしものにあらずやと想像さるべし。(太田亮 著 『姓氏家系大辞典 第2巻』 5コマ

 

※ 名草戸畔(なぐさとべ) 紀伊の女首長であり、神武天皇の東征軍と戦い、戦死した。

 

※ 伊太祁󠄀曽神社(いたきそじんじゃ)は、紀伊国の一宮で、 五十猛命 ・ 大屋都比賣命 ・ 都麻津比賣命を祀る。

 

五十猛命の別名

 

大屋毘古神(おおやびこのかみ)

 

『古事記』には、五十猛命は登場しませんが、木の国の大屋毘古神(おおやびこのかみ)が登場します。大穴牟遅神(オオナムチのカミ)が、異母兄弟からの攻撃から、大屋毘古神の元に逃げ込む話があります。

 

『先代旧事本紀』の五十猛命の表記に「亦云 大屋彦神」と書かれています。妹神が大屋津姫命なので、大屋彦命なのでしょう。

 

射楯神・伊達神・伊太氐(いたてのかみ)

 

『播磨国風土記』の地名伝承に

 

因達(いだて)と称(い)ふは 息長帯比売命(神功皇后)、韓国(からくに)を平(ことむけ)と欲して、渡り坐しし時、船前(ふなさき)に御(ま)す 伊太氐伊太代(いだて)の神此処に在しき 故(かれ)神の名に因りて 里の名と為(な)しき     (『播磨国風土記 飾磨郡 因達の里』)

 

と、あります。
『播磨国風土記』では、息長帯比売命(神功皇后)の三韓征伐の出航に関係する神として描かれています。水軍の神として祀られていたようです。

 

因達(いだて、いたて)は、「射楯」「伊達」「伊太氐」等、表記されます。

 

なお、出雲国(島根県東部)には、「韓国伊太氐神社」という式内社が6社もあります。

 

ただ単独の神社ではないと思われ、他の神社と「同社坐」となっています。なぜか、『出雲国風土記』(733年)には、一社も載っていません。奈良時代には、すでに独立な神社としては廃絶していたと思われます。

 

五十猛命の上陸伝承

 

島根県の旧・邇摩郡(現在 大田市)は、素戔嗚尊や五十猛命等の上陸伝承があります。

 

韓の地名

 

五十猛神社の周辺には、韓島(からしま)、韓浦(かんのうら)、韓郷山(からごやま)等、「韓」の付いた地名が多いです。

 

韓島  島根県大田市仁摩町宅野

 

 

宅野港から見える3つの島です。左が麦島、見えない奥に逢島があり、白い鳥居が見えるのが、韓島です。

 

この神社には、素戔嗚命が祀られています。

 

韓神新羅神社 島根県大田市五十猛町 大浦2719

 

 

大浦港に鎮座している韓神新羅神社です。大浦港は、古くは韓浦と呼ばれていました。神社の背後の山が、韓郷山です。

 

朝鮮や大陸から季節風と海流によって渡航しやすい古代の港だったのでしょう。

 

神島

 

 

素戔嗚尊一族は、大浦海岸近くの神島(かみしま)に上陸したのだといいます。

 

 

神別れ坂

 

 

素戔嗚尊は大浦の神社に留まり、他の五十猛命と大屋津姫命、抓津姫命の三神はさらに分かれて、それぞれ造林や機織りなどの業をひろめたそうです。

 

そして、大屋津姫命は、大屋町の大屋津姫神社に、枛津姫命は、物部神社(大田市川合)の境外社 漢女(からめ)神社に祀られています。

 

大屋津姫神社 島根県大田市大屋町大屋261−1

 

 

漢女神社(からめじんじゃ) 島根県大田市川合町

 

 

天香語山命 同神説

 

海部氏系図(勘注系図)前書 

 

京都府宮津町の籠神社に伝わる国宝・『勘注系図』の「前書」に始祖 彦火明命の2代目、あるいは3代目に「建位起命」の名前、つまり、五十猛命の別名 「イタテ」が見られます。

 

(冒頭の「建」は、「建速須佐之男命」や「建御名方神」のような武神の美称と思われます。)

 

 

彦火々出見命は、いわゆる「海幸山幸」神話の「山幸」です。しかし、記紀では、火明命ではなく瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の御子となっています。

 

この系譜は、『先代旧事本紀』先代旧事本紀 第六巻にも書かれています。

 

彦火々出見尊は、彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊(ひこ なぎさたけ うがやふきあえず の みこと)を生みました。

 

次に、武位起命を生みました。大和国造の祖である。

 

もう一つの系譜の「宇豆彦命」は、『古事記』孝元天皇の項に登場する「木国造祖」として登場します。

 

ということは、武位起命も「木」(後の紀伊)の祖神ということで、五十猛命と同じ神に思えます。

 

海部氏系図(勘注系図)巻首

 

巻首に書かれている文章と 系図をまとめました。系図は、彦火明命から三代までの抜粋です。

 

 

ところが、『勘注系図 巻首 』には、別のことが書かれています。

 

古代豪族 海部氏と同様の系図をもつ尾張氏も、このように「天香語山命─天村雲命」を祖としています。

 

この系図で見ると、天香語山命は、大己貴命(オオナムチノミコト)と宗像族との結婚で生まれた高光日女命(たかてるひめのみこと)が産んだ神で、出雲族と海部氏・尾張氏の祖・火明命との混血です。

 

息子の天村雲命の亦の名として「天五十楯天香語山命」とあります。ここでも、「五十楯」(イタテ)の表記があります。しかし、天村雲命では、紀氏の祖神にはなりません。

 

「大屋姫命」と天香語山命との婚姻で、「熊野高倉下」とありますので、こちらが、紀氏の国造の系譜でしょう。

 

となれば、『日本書紀』では、大屋姫命の兄となっているけれども、天香語山命が五十猛命であるという仮説が成り立ちます。

 

続く

 

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