なぜなに考古学事典

弥生時代前期のお墓弥生時代前期、中期、後期とあって、出雲系の弥生時代のお墓の形として、頭に浮かぶのは、「四隅突出型墳丘墓」でしょうか。しかし、それは後期の時代の物です。それ以前は、どのような形のお墓の形だったかというと、全国的には、土壙墓、方形周溝墓、円形周溝墓、支石墓など地域によって様々な形式の墓...

なぜなに考古学事典

考古学の資料館や遺跡をよく見学しますが、専門用語や時代区分で頭がゴチャゴチャしてなかなか頭に入りません。だから、四隅突出型墳丘墓(よすみとっしゅつがたふんきゅうぼ)の謎や時代背景などシロウト目線で着目すべき点を整理してまとめてみました。四隅突出型墳丘墓の歴史弥代時代の首長のお墓西谷2号墳 島根県出雲...

そもそも 古代出雲

古代史の本には、「出雲族」(いずもぞく)という言葉がでてきますが、その言葉の使われ方は、一貫していないと思います。だから、その出雲族が何なのかという、その前提がいろいろで本を読んでいて混乱します。出雲族とは?下記のような言葉の使われ方があると思います。一般的には、①から⑤が言われている気がします。①...

加藤義成氏の説これは加藤義成氏の説である。「延喜式によれば、この売布神社は玉作湯神社と来待神社との間にあって、今の鏡あたりあったのをその辺から移されたものであろう。」(『出雲国風土記参究』)上記の地図の1の所が、鏡あたりである。延喜式の記載が、「玉作湯神社 同社坐韓国伊太氐神社 売布神社 来待神社」...

袖師ヶ甫の岩崎鼻売布神社の説明板によれば、白潟(上記図の3)の地の前に、宍道湖南岸の袖師ヶ甫の岩崎鼻(上記図の2)に売布神社は鎮座していた。さらにその前には、もっと宍道湖の西の方(上記地図の1)にあったのではないかと言われている。〝当社の元の鎮座地は、古代名の意宇の入海(今の宍道湖)の西部湖岸と考え...

売布(めふ)神社 東遷の謎現在松江市の新大橋の南に鎮座している売布(めふ)神社である。元は白潟の松江大橋の近くにあり、「橋姫大明神」と呼ばれていた。売布神社 島根県松江市和多見町81さて、この売布神社であるが、幾度となく東に移動してきている。地図で示してみた。4が現在の新大橋南詰の場所である。3が近...

出雲郡の神々

出雲郡のカンナビ山 仏経山の麓に加毛利(かもり)神社がある。近くには、富(とび)神社がある。出雲国風土記(733年)に「加毛利社」として記載のある古社であり、式内社でもある。島根県出雲市斐川町神氷神守1779さて、ここの神社の説明書きである。着目点を黄色のマーカーを加えた。◎祭神 主祭神 天津日高彦...

中海から大橋川に入ってすぐのの南の岸を馬潟(まかた)という。「馬潟」といえば、9日間にわたって行なわれる「ホーランエンヤ」(松江城山稲荷神社式年神幸祭)で、一番船を務めるの地域である。文化5年(1808)の神幸祭の際に、風雨が激しくなり、御神霊を載せた船が危ない状態になった時、馬潟村の漁師が助けて芦...

出雲江阿太加夜神社 島根県松江市東出雲町出雲郷588ホーランエンヤでは、松江城山稲荷神社の御神体を載せた船団が大橋川から意宇川を通って阿太加夜神社に運び往復する。その阿太加夜神社が鎮座する地域は、古くは出雲郷という地名だった。ここら一帯の地域は、縄文時代より集落があり.,「阿太加夜神社境内遺跡」(弥...

いつから大橋川と呼ばれているのか大橋川というのは、中海と宍道湖をつないでいる全長約8キロの河川である。川ならば、どちらが川上で川下なのだろうか。一般的には、川とは山々の水源から支流が合わさって大きくなり、海に流れていくものである。だから、海に近い方を川下や河口という。そういう意味では、日本海に接した...