古代出雲への道

伝承地を歩く

天穂日命(あめのほひのみこと)の降臨伝承が島根県の最東端の安来市吉佐町があります。中海には、干拓地である穂日島(ほひじま)町が見えます。天穂日命の降臨伝説地を調べました。『出雲国風土記』の天穂日命出雲国造の祖である天穂日命ですが、『出雲国風土記』(733年)では、たった1か所だけ登場します。編纂者が...

大国主命の受難伝説

鳥取県の西部にある手間要害山の麓の南側にある「倭」から、大国主命が「出雲国だけは守る。」と言った伝承地─安来市伯太町の青垣山が、すこぶる近いということがわかります。伯耆国と出雲国の道は、手間關のある官道しか『出雲国風土記』には記載がないけれども、実際にはいくつかの伯耆国とつながる道があり、その境界が...

大国主命の受難伝説

手間要害山の周りの地名や神社を見て回るとたいへん面白いことに気づきます。南には手間要害山を取り囲むように、賀茂神社が3つあります。それから、西南に「倭」の地名、倭姫命を祭神とする高野女神社に由来する「高姫」の地名、そして南西の下側に「鴨部」の地名があります。それから想像することは、大和の賀茂族です。...

大国主命の受難伝説

赤猪岩神社の伝承赤猪岩とは、八十神が赤い猪だと言って大国主命をだました、赤く焼けた岩です。江戸時代の末期の安政5年の『伯耆志』(1858年)には、赤猪岩(文章中では赤猪石なので以後「赤猪石」の語句を使う。)の様々な伝承が書かれています。赤猪石と思われる石は、一つではなくさまざまな場所にあったようです...

大国主命の受難伝説

『古事記』(712年)の稲羽のシロウサギとワニの話には続きがあります。『古事記』の大国主命と手間山因幡のシロウサギのを助けた大国主命は八上姫と結ばれます。しかし、それをねたんだ八十神(やそがみ)にねたまれ、出雲に帰る途中、あろうことか伯耆にある手間山の麓で、殺されます。八十神たちは、大きな赤い猪を坂...

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龍厳山(りゅうがんざん) 島根県大田市仁摩町大国島根県の西部は、律令体制後は『石見国」(いわみのくに)と呼ばれていました。現代のなまり言葉も、島根県東部(出雲)が、いわゆるズーズー弁ですが、島根県西部は石見弁であり、その文化も出雲地方とはかなり違います。しかしながら、伝承には石見独自の神様だけではな...

そもそも 古代出雲

五十猛命の神様についてまとめました。五十猛命(いたけるのみこと)とは?五十猛神社  島根県大田市五十猛町2349−1五十猛命と書くので、現代には「いそたけるのみこと」と読まれたりもしますが、奈良時代には、「五十」は「い」と読んでいましたので、「いたけるのみこと」です。『日本書紀』の記載には、4つのこ...

伝承地を歩く

島根県大田市仁摩町には、濃厚な大己貴(オオナムチ)神の伝承地の馬路(マジ)という地域があります。そこの伝承を探ってみます。馬路高山と城上山馬路という地域は、琴ヶ浜という鳴き砂で観光で有名な美しい砂浜の海岸のある海に面した地域です。その海岸を眺めるように大きな山が二つそびえたっています。その山が、高山...

伝承地を歩く

日本の神話に登場してくる須佐之男命(スサノオのミコト)。その神の名前に関した地名が、山口県の日本海沿岸にあります。須佐ホルンフェルスをはじめとする美しい景観のある町です。なぜ須佐の地名になったのでしょう。須佐の高山頂上から見える須佐湾須佐の地名『日本地名大辞典』(日本書房 昭和13年)によりますと、...

今まで孝霊天皇の鬼退治の伝承を書いてきましたが、それは孝霊天皇に随行してきたという紀氏や物部氏の伝承でした。孝霊天皇が、直接来たのなら、孝霊天皇の末裔の伝承があっても不思議はありません。孝霊天皇は海からやってきた。海から見える大山と孝霊山古代は、灯台ではなく大きな山が船の目印だったのではないでしょう...

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