さいの神の原像

京都の波せき地蔵堂(なみせきじぞうどう)京都府の宮津市の籠(この)神社の奥宮である真名井神社へ行った時にも、参道に地蔵堂がありました。これは、もしや、真名井神社の神域との境を示すお地蔵さまかな?と思いましたが、全くの見当違いでした。実は、大宝の大地震(約1300年前)に大津波が起きて、ここで波が切り...

さいの神の原像

中山神社(鳥取県西伯郡大山町束積)の道祖神さん わらで作った馬が供えられている。伯耆地方のサイノカミ祭りの特徴淀江町教育事業団発行『未来にヒントを!! 伯耆のサイの神さん』からの抜粋です。(番号は、私がつけました。)①昔は、淀江町や中山町では、竹やむしろで子供がこもる小屋を作ったり、淀江町では小型の...

さいの神の原像

木の根神社のご神体国道9号線を米子市から東へ25キロ走らせると、左手に「木の根まんじゅう」の大きな看板が見えてきます。そこの店で買って食べてみましたがが、程よい甘さでおいしかったです。ここの饅頭は、「木の根まんじゅう」のすぐ近くの神社「木の根神社」のご神体を模して作ったものだそうです。木の根神社のご...

さいの神の原像

妻木晩田遺跡(むきばんだいせき)から望む弓浜半島『出雲国風土記』(733年)には、三穂之崎(現在の美保関)を引き寄せた綱が「夜見嶋」(現在の弓ヶ浜半島)であると書かれています。「行き寄せた綱」というぐらいだから、島と言っても、奈良時代には一本の半島のごとくつながっていたのかもしれません。その名の通り...

さいの神の原像

亀甲神社(かめのこじんじゃ)の道祖神亀甲神社(鳥取県米子市淀江町中間642番地)には、上記のようなサイノカミが11体もあります。このサイノカミは、市の指定有形民俗文化財になっています。男女の双体道祖神が8体、男根型が1体で9体です。男根型の左にある線彫りの双体道祖神は、一番古いもので、文化13年(1...

さいの神の原像

さいの神は、塞の神、道祖神、才の神、幸の神というようにさまざまな漢字で表現され、全国に見られる神です。布志名才の神遺跡 島根県松江市玉湯町布志名寛永通宝(1636~)から平成4年発行の1円まで合計139枚が奉納されている江戸時代から現代までつながる信仰の遺跡である。石積を特徴とする遺跡であり、底の所...

なぜに佐太「御子」社?息子が祭神?『出雲国風土記』(733年)によれば、秋鹿郡の神社の項目に「佐太御子社」(現在の佐太神社)の記載があります。佐太神社では、佐太の大神ではなくて、その御子(子ども)なのです。御子は誰?と、新たな疑問が浮かんできます。長い間そのことが気になっていましたが、谷戸貞彦著『幸...

柳田国男 『石神問答』マリンパーク多古鼻 展望台から美保関方面を眺める  島根県松江市島根町 多古民俗学者 柳田国男氏は、山中大人氏との書簡の中で、『古史伝』の「猿田=サダ』を踏まえた上でさらに「サダ=ミサキ」として述べています。“(前略)此因に愚見御批判を仰ぎ度は 此神の名猿田と云ふ語は やがて亦...

佐太神社の祭神が猿田彦命に変わった。ウィキペディアで佐太大神を祭っている佐太神社のことを調べると、「近現代」のところに、“明治維新時に神祇官の命を受けた松江藩神祠懸により、祭神を猿田彦命と明示するように指示された際、神社側は一旦はそれを拒んだが、後に従った。”と書かれています。(⇒ ウィキペディア ...

『出雲国風土記』の記載『出雲国風土記』(733年)には、佐太大神の誕生神話が記されています。“加賀神崎(かかのかんざき)。窟(いわや)がある。高さは一十丈ほど、周りは五百二歩ほどである。東と西と北とに貫通している。〔[いわゆる佐太大神(さだのおおかみ)がお生まれになった所である。お産まれになろうとす...

Copyright © 2024 古代出雲への道All Rights Reserved.