出雲郡の神々

出雲郡のカンナビ山 仏経山の麓に加毛利(かもり)神社がある。近くには、富(とび)神社がある。出雲国風土記(733年)に「加毛利社」として記載のある古社であり、式内社でもある。島根県出雲市斐川町神氷神守1779さて、ここの神社の説明書きである。着目点を黄色のマーカーを加えた。◎祭神 主祭神 天津日高彦...

中海から大橋川に入ってすぐのの南の岸を馬潟(まかた)という。「馬潟」といえば、9日間にわたって行なわれる「ホーランエンヤ」(松江城山稲荷神社式年神幸祭)で、一番船を務めるの地域である。文化5年(1808)の神幸祭の際に、風雨が激しくなり、御神霊を載せた船が危ない状態になった時、馬潟村の漁師が助けて芦...

出雲江阿太加夜神社 島根県松江市東出雲町出雲郷588ホーランエンヤでは、松江城山稲荷神社の御神体を載せた船団が大橋川から意宇川を通って阿太加夜神社に運び往復する。その阿太加夜神社が鎮座する地域は、古くは出雲郷という地名だった。ここら一帯の地域は、縄文時代より集落があり.,「阿太加夜神社境内遺跡」(弥...

いつから大橋川と呼ばれているのか大橋川というのは、中海と宍道湖をつないでいる全長約8キロの河川である。川ならば、どちらが川上で川下なのだろうか。一般的には、川とは山々の水源から支流が合わさって大きくなり、海に流れていくものである。だから、海に近い方を川下や河口という。そういう意味では、日本海に接した...

塞の神の原像

京都の波せき地蔵堂(なみせきじぞうどう)京都の宮津市の籠(この)神社の奥宮である真名井神社へ行った時にも、参道に地蔵堂があった。これは、もしや、真名井神社の神域との境を示すお地蔵さまかな?と思ったが、全くの見当違いであった。大宝の大地震(約1300年前)に大津波が起きて、ここで波が切り返したというお...

塞の神の原像

中山神社(鳥取県西伯郡大山町束積)の道祖神さん わらで作った馬が供えられている。淀江町教育事業団発行「未来にヒントを!! 伯耆のサイの神さん」からの抜粋である。(番号は、私がつけた。)①昔は、淀江町や中山町では、竹やむしろで子供がこもる小屋を作ったり、淀江町では小型のサイの神さんを宿に迎えて絵具など...

出雲国の後期古墳

出雲国東部の後期古墳のさきがけともいう「大庭鶏塚(おおばにわとりづか)古墳」を訪ねた。東部のカンナビ山である茶臼山の西北の山裾に、東部の最高首長墓とみなされる大庭鶏塚古墳、山代二子塚古墳、山代方墳が近い場所に築造されていた。その3つの中でもっとも古いのが、大庭鶏塚古墳である。(6世紀前半から半ば)現...

塞の神の原像

木の根神社のご神体国道9号線を米子から約東へ25キロ走らせると、左手に「木の根まんじゅう」の大きな看板が出ている。そこの店で買って食べてみたが、程よい甘さでおいしかった。ここの饅頭は、「木の根まんじゅう」のすぐ近くの神社「木の根神社」のご神体を模して作ったものだという。木の根神社のご神体とは何か。木...

出雲郡の神々

荒神谷遺跡の存在する場所は、 島根県出雲市斐川町神庭である。この「神庭」(かんば)だが、「庭」はもともと神事の場所、祭場を意味することばである。そういう地名の所に、多数の青銅器が出土したところが、たいへん興味深い。さて、その斐伊川町神庭のあるところは、『出雲国風土記』時代(733年)には「健部郷」(...

塞の神の原像

妻木晩田遺跡(むきばんだいせき)から望む弓浜半島『出雲国風土記』(733年)には、三穂之崎(現在の美保関)を引き寄せた綱が「夜見嶋」(現在の弓ヶ浜半島)であると書かれている。行き寄せた綱というぐらいだから、島と言っても、奈良時代には一本の半島のごとくつながっていたのかもしれない。名の通り弓のように美...