さいの神の原像

さいの神は、塞の神、道祖神、才の神、幸の神というようにさまざまな漢字で表現され、全国に見られる神です。布志名才の神遺跡 島根県松江市玉湯町布志名寛永通宝(1636~)から平成4年発行の1円まで合計139枚が奉納されている江戸時代から現代までつながる信仰の遺跡である。石積を特徴とする遺跡であり、底の所...

なぜに佐太「御子」社?息子が祭神?『出雲国風土記』(733年)によれば、秋鹿郡の神社の項目に「佐太御子社」(現在の佐太神社)の記載があります。佐太神社では、佐太の大神ではなくて、その御子(子ども)なのです。御子は誰?と、新たな疑問が浮かんできます。長い間そのことが気になっていましたが、谷戸貞彦著『幸...

柳田国男 『石神問答』マリンパーク多古鼻 展望台から美保関方面を眺める  島根県松江市島根町 多古民俗学者 柳田国男氏は、山中大人氏との書簡の中で、『古史伝』の「猿田=サダ』を踏まえた上でさらに「サダ=ミサキ」として述べています。“(前略)此因に愚見御批判を仰ぎ度は 此神の名猿田と云ふ語は やがて亦...

佐太神社の祭神が猿田彦命に変わった。ウィキペディアで佐太大神を祭っている佐太神社のことを調べると、「近現代」のところに、“明治維新時に神祇官の命を受けた松江藩神祠懸により、祭神を猿田彦命と明示するように指示された際、神社側は一旦はそれを拒んだが、後に従った。”と書かれています。(⇒ ウィキペディア ...

『出雲国風土記』の記載『出雲国風土記』(733年)には、佐太大神の誕生神話が記されています。“加賀神崎(かかのかんざき)。窟(いわや)がある。高さは一十丈ほど、周りは五百二歩ほどである。東と西と北とに貫通している。〔[いわゆる佐太大神(さだのおおかみ)がお生まれになった所である。お産まれになろうとす...

江戸時代は、潜戸で誕生したのは猿田彦命ではなかった。新潜戸 新しい潜戸でもないのに、現在は「新」が付いている。現代では、潜戸で誕生した神様は、「猿田彦命」とされており、いろいろなパンフレットや説明板には佐太大神=猿田彦命と説明されています。しかし、それはあくまで明治以降からだと思われます。『出雲国風...

旧潜戸は、古の潜戸外から見た旧潜戸(きゅうくけど)観光船に乗ると、旧潜戸(きゅうくけど)こと古潜戸(ふるのくけど)にまず着きます。古潜戸には、「賽の磧」(さいのかわら)があり、「仏」の潜戸とも言われています。船着き場に着きました――。まずは、水子のお地蔵さまに拝みました。水子地蔵人の手で造られたトン...

(1)2つの加賀の潜戸 【新潜戸・旧潜戸】加賀(かか)の潜戸(くけど)の位置島根県松江市島根町の日本海に面した潜戸鼻には、「加賀の潜戸」(かかのくけど)という景勝地があります。ひと口に潜戸と言いますが、『出雲国風土記』(733年)に載っている、佐太大神(さだおおかみ)の誕生の地である新潜戸(しんくけ...

出雲のアラハバキ神

私たちは立ち入ることができない出雲大社の玉垣内には、東西に門客人社がひとつずつ鎮座しています。現在は、「門神社(みかどのかみのやしろ)」と呼ばれています。中世には、門客人社と書物に記されていました。玉垣内を守る役割の神ですが、その祭神について調べてみました。出雲大社の門客人社はいつから創建?いつの時...

出雲のアラハバキ神

インターネットや書籍において、アラハバキ神は、出雲系の地主神や出雲と東北をつなぐ原初的な蝦夷の神だとかの説が見られますが、本当にそうなのでしょうか。いろいろと考察してみました。アラハバキ神の出雲国の分布古代史研究家の斎藤隆一氏が作成したアラハバキ神社所在地一覧表(『季刊 邪馬台国 54号』「荒覇吐神...

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