古代出雲への道

今まで孝霊天皇の鬼退治の伝承を書いてきましたが、それは孝霊天皇に随行してきたという紀氏や物部氏の伝承でした。孝霊天皇が、直接来たのなら、孝霊天皇の末裔の伝承があっても不思議はありません。孝霊天皇は海からやってきた。海から見える大山と孝霊山古代は、灯台ではなく大きな山が船の目印だったのではないでしょう...

そもそも 古代出雲

『日本書紀』に出雲神宝事件が書かれています。出雲王国の崩壊とヤマト王権への追従を表わしているという歴史家もいます。その出雲の神宝とはなんだったのでしょうか?出雲神宝事件とは?『日本書記』巻五の崇神天皇の項に書かれています。これは、古墳時代前期頃(あるいは弥生時代末期)と考えられているようです。概要第...

伝承地を歩く

『出雲国風土記』には、さまざまな神に関連した山が書かれています。島根県雲南市の高麻山(たかさやま)もその一つです。青幡佐草日古命が麻を蒔いた高麻山高麻山『出雲国風土記』(733年)には、大原郡の山野の一つにこう書かれています。高麻山(たかさやま)。郡家の正北一十里二百歩の所にある。高さは一百丈、周り...

さいの神の原像

さいの神は、塞の神、道祖神、才の神、幸の神というようにさまざまな漢字で表現され、全国に見られる神である。布志名才の神遺跡 島根県松江市玉湯町布志名寛永通宝(1636~)から平成4年発行の1円まで合計139枚が奉納されている江戸時代から現代までつながる信仰の遺跡である。石積を特徴とする遺跡であり、底の...

そもそも 古代出雲

日本の民俗学の祖ともいうべき柳田国男(1875年~ 1962年)氏の『石神問答』(1910年)には、「くなどの神」と同じような信仰もつ様々な石神の性格が述べられています。平安時代の式内社における佐久(さく)の名前がついた神社がありますが、この本の中で、柳田氏は、「佐久」も「くなど」も同じ意味であると...

そもそも 古代出雲

和加布都努志命(わかふつぬしのみこと)という神が『出雲国風土記』には登場します。現在も、大国主命の御子神の中で唯一出雲大社本殿に祀られている神です。和加布都努志命とは?簡単にまとめますと、『出雲国風土記』(733年)では、美談郷(みたみごう)、大野郷(おおのごう)の2か所に登場する。現在では、農耕や...

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※ヘッダー画像は、出雲市の高西公園の像です。奈良時代は、高岸郷だったので、おそらく阿遅須枳高日子命の像と思われます。『出雲国風土記』(733年)の時代には、出雲大社(当時は杵築大社と呼ばれていた。)の前方は、広大な田畑でもなく、神門水海(かんどのみずうみ)という湖が広がっていました。現在の出雲市の市...

そもそも 古代出雲

出雲大社から辰巳(東南)の方向に、歩いていくと出雲井社(いづもいのやしろ)が鎮座しています。4月の上旬に参拝すると、桜の花が満開です。ここの神社の説明板が出ています。出雲大社 摂社出雲井社(出雲路社)御祭神 岐神 (くなどのかみ)由緒勇武にして地理に明るく大国主命大神が`国譲り'の際、大神の...

一口に孝霊天皇の鬼退治伝承と言っても、地域ごとに活躍する人物が違います。「妻木」では皇子・鶯王(うぐいすおう?)であったり、「溝口」では大矢口命(おおやぐちのみこと)です。また、日野の西楽々福神社(にしささふくじんじゃ)では、皇子・歯黒命(彦狭嶋命)です。印賀の楽々福神社 拝殿 鳥取県日野郡日南町印...

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島根県飯石郡飯南町の来島地区の地名「来島」は、大国主命6世孫とされる伎自麻都美命(きじまつみのみこと)に由来する地名です。大国主命6世孫ということですが、それはなんの本に書かれているのでしょうか?『出雲国風土記』の来島郷伎自麻都美命を祀る來嶋神社ここの地名由来は、『出雲国風土記』(733年)に書かれ...

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