『古事記』(716年)には、様々な大国主命の伝説が書かれています。その受難伝説といいますか、何度も八十神に何度も殺されては、神々の力によって、よみがえってきます。その伝承地を歩いてみました。さまざまな土地のウサギとワニの伝承伯耆の伝承因幡という鳥取県西部だけではなく、鳥取県の中ほどの鳥取県大山町束積...

そもそも 古代出雲

天孫族と出雲族は最初から親戚だったというのが今回のテーマである。国譲り神話が頭に染みついている人には、理解に苦しむ話だ。まず「ホアカリ」と聞いて、どんな神様か気がつく人はあまりいない。漢字で書くと、「火明命」「天火明命」だ。記紀神話では、ニニギノミコトの息子の中の一人として登場して存在感がない。しか...

伝承地を歩く

鬼神神社のある鳥上の里からの写真です。左手の円錐形の山は、「家内住山」(標高1080m)といい、テナヅチ・アシナヅチ・稲田姫が住んでいたところとされています。右手の水平な山が船通山で、標高1142mあります。鳥上山(現在の船通山)船通山は奈良時代には「鳥上山」と呼ばれていました。スサノオのヤマタのオ...

伝承地を歩く

鬼神神社から横田の町の中へ行ったところに稲田姫の生誕の伝承地があります。横田高校から、すぐの場所で、稲田神社に行く道の途中にまず「笹宮」が見えます。笹宮笹宮の前の説明板です。竹べラから萌芽した笹宮 テナヅチが産湯の池のほとりでイナタヒメを産みおとした時、アシナヅチは竹のヘラで臍(へそ)の緒(お)を切...

伝承地を歩く

鬼神神社  島根県仁多郡奥出雲町大呂2058ここの鬼神(おにがみ)神社の名称は、『雲陽誌』(1717年)にすでに載っています。江戸時代の半ばにはこの名前だったのです。『古事記』『日本書紀』に描かれる、スサノオノミコトの八岐大蛇(ヤマタノオロチ)退治で有名な鳥髪山(現在の船通山)の麓にある神社です。八...

なぜなに考古学事典

弥生時代前期のお墓弥生時代前期、中期、後期とあって、出雲系の弥生時代のお墓の形として、頭に浮かぶのは、「四隅突出型墳丘墓」でしょうか。しかし、それは後期の時代の物です。それ以前は、どのような形のお墓の形だったかというと、全国的には、土壙墓、方形周溝墓、円形周溝墓、支石墓など地域によって様々な形式の墓...

なぜなに考古学事典

考古学の資料館や遺跡をよく見学しますが、専門用語や時代区分で頭がゴチャゴチャしてなかなか頭に入りません。だから、四隅突出型墳丘墓(よすみとっしゅつがたふんきゅうぼ)の謎や時代背景などシロウト目線で着目すべき点を整理してまとめてみました。四隅突出型墳丘墓の歴史弥代時代の首長のお墓西谷2号墳 島根県出雲...

そもそも 古代出雲

古代史の本には、「出雲族」(いずもぞく)という言葉がでてきますが、その言葉の使われ方は、一貫していないと思います。だから、その出雲族が何なのかという、その前提がいろいろで本を読んでいて混乱します。出雲族とは?下記のような言葉の使われ方があると思います。一般的には、①から⑤が言われている気がします。①...

加藤義成氏の説これは加藤義成氏の説である。「延喜式によれば、この売布神社は玉作湯神社と来待神社との間にあって、今の鏡あたりあったのをその辺から移されたものであろう。」(『出雲国風土記参究』)上記の地図の1の所が、鏡あたりである。延喜式の記載が、「玉作湯神社 同社坐韓国伊太氐神社 売布神社 来待神社」...

袖師ヶ甫の岩崎鼻売布神社の説明板によれば、白潟(上記図の3)の地の前に、宍道湖南岸の袖師ヶ甫の岩崎鼻(上記図の2)に売布神社は鎮座していた。さらにその前には、もっと宍道湖の西の方(上記地図の1)にあったのではないかと言われている。〝当社の元の鎮座地は、古代名の意宇の入海(今の宍道湖)の西部湖岸と考え...