古代出雲への道

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奥出雲町のホームページを見ていたら、興味深い造形の神社が載っていました。いわゆる木造の建築物の神社でもなく、何か石の板が組み合わさった石が御神体のようです。鯛の巣山に登った後、その川子神社を参拝しに行きました。また、山を登った中腹にあるのかと思ったら、自動車ですぐ行ける場所で川子原公会堂という建物の...

伝承地を歩く

『島根県口碑伝説集』(昭和2年 島根県教育会 編)に、島根県仁多郡阿井村(現在 奥出雲町阿井)の伊弉冉尊(イザナミノミコト)の神跡が載っています。この地域は、備後国(以前は吉備国であり、分かれた国)との境界に位置する場所です。仁多郡阿井村には、神代に因む地名が少なからず現存して居る。奥内谷には夫婦掘...

伝承地を歩く

鳥取県と島根県との境に位置する御墓山(758m)は、イザナミノミコトの御陵である比婆山の候補地のひとつです。孝霊天皇の行幸第7代天皇がお墓山をたずねた伝承もあるようです。御墓山の道路標示ここから自動車ですぐのところに、砥波(となみ)の「楽々福神 足洗池」の伝承地に着きます。説明版はありますが、もう池...

先に孝霊天皇の鬼退治(3) 生山・皇女福姫の生まれた山で、孝霊天皇の皇后・細姫命(「くわしひめのみこと」あるいは、「さいひめのみこと」)が、生山で福姫命を出産したことを述べましたが、日野川の半ば程にある菅福神社には、また別の伝承があります。菅福神社(すげふくじんじゃ)の伝承菅福神社 鳥取県日野郡日野...

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仁多郡の三澤郷阿遅須伎高日子命(あじすきたかひこのみこと)の伝承地である仁多郡三澤郷、現在の仁多郡奥出雲町に訪ねました。まずは、その伝承が書かれた『出雲国風土記』(733年)の記事です。三澤郷(みざわごう)。郡家の西南二十五里の所にある。大神大穴持命の御子、阿遅須伎高日子命(あじすきたかひこのみこと...

今は、寂しく「西楽々福神社」の社号標が道路に残っています。現在、神社は廃絶、東の楽々福神社に合祀されております。少なくとも、江戸時代末までは、「大社」として、立派な神社であったことが想像できます。社家 入澤氏は物部氏の末裔旧・溝口町の楽々福神社の神主家芦田氏が、物部氏の原型たる穂積氏の末裔であること...

生山の地生山(しょうやま)の地は、鳥取県の地名です。現在の正確な地名は、「鳥取県日野郡日南町生山」です。日野川が、大きく西側に曲がる場所であり、南の石見川と日野川が合流する場所です。日野川をここから西に行くと、東西の楽々福神社(江戸時代は大社)につながる街道であり、南に行くと、大国主命の2度目の復活...

伝承地を歩く

鬼神神社  島根県仁多郡奥出雲町大呂2058ここの鬼神(おにがみ)神社の名称は、『雲陽誌』(1717年)にすでに載っています。江戸時代の半ばにはこの名前だったのです。『古事記』『日本書紀』に描かれる、スサノオノミコトの八岐大蛇(ヤマタノオロチ)退治で有名な鳥髪山(現在の船通山)の麓にある神社です。八...

日野川流域日野川(ひのがわ)樂樂福神社(ささふくじんじゃ)の分布を見ると、日野川流域に集中していることがわかります。日野川下流域には、古来より集落が栄え、弥生時代を通じて鉄器がよく出土していた地域です。古代から近世までずっと、砂鉄からの製鉄が盛んな所でした。樂樂福神社の分布ささふくとは?一説によれば...

『紀氏譜記』の記述伯耆国(鳥取県西部)の紀氏の末裔である進家の伝承などが記された『紀氏譜記』(1761年)には、孝霊天皇の鬼退治伝承も書かれています。伯耆国の紀氏伯耆国の紀氏として進氏以外にも相見氏、巨勢氏などが勢力をもっていました。伯耆の紀氏後裔氏族『日吉津村 下巻』より通説では、伯耆国の紀氏は平...

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