古代史の本には、「出雲族」(いずもぞく)という言葉がでてきますが、その言葉の使われ方は、一貫していないと思います。だから、その出雲族が何なのかという、その前提がいろいろで本を読んでいて混乱します。

 

 

出雲族とは?

下記のような言葉の使われ方があると思います。
一般的には、①から⑤が言われている気がします。

 

①奈良時代より前から存在した「出雲国」に住んでいた種族 

 

②国譲り神話における先住民族である国津神

 

③記紀神話に描かれるスサノオの命を始祖とする種族

 

④記紀神話に描かれる大国主命や事代主命などを祖先とする種族

 

⑤③あるいは④の神々に加えて、天津神系ではあるが、婚姻関係で同族となった天穂日命や賀茂建角身命を祖とする氏族等も含める種族

 

⑥⑤に加えて、古代氏族 物部氏や尾張氏、紀氏等を含める種族、あるいは蘇我氏を含める種族

 

スサノオのミコトは、出雲族の始祖か?

 

上記の③と④は、どう違うのかということを述べたいと思います。『古事記』『日本書紀』には、出雲族の祖であるように書かれているので、不信に思われる人が多いと思います。

 

大国主命と事代主命が、大黒さんと恵比須さんで、後世つくられたイメージなのかもしれませんが、おんぼらと(おだやかな)イメージですが、スサノオのミコトは、八岐大蛇を退治する、無茶苦茶強い、悪く言えば、乱暴者のイメージです。
そういうイメージの問題だけではありません。

 

出雲族は、『古事記』『日本書紀』では、蛇信仰の種族として描かれています。例えば、奈良の三輪山の神が蛇であったり、ホムチワケの話では、出雲の姫が蛇に化身したりします。
その蛇を奉斎する出雲族が、初代王から蛇を切るということがあるのか?と、宗教における矛盾を感じます。

 

あの八岐大蛇伝説ですが、出雲神楽の演目としては、面白いでしょうが、何を意味するか様々な説があります。
一般的な説は、
①斐伊川の治水事業を行なった説②砂鉄から製鉄(野だたら)の起原神話説ですが、自分は③出雲族成敗説です。

 

八岐大蛇は越(こし)から、やってくる設定になっていますが、ここから蘇我氏成敗説(越は蘇我氏の強い地域)を唱える方もおられますが、自分は神門臣成敗説ではないかなあと思っています。奈良時代は、出雲市の古志本郷遺跡の周りが、神門臣の拠点でした。越の人達がイザナミの時代から住みついたと、『出雲国風土記』(733年)に書かれています。

 

またスサノオのミコトは、富家伝承本には、尾張氏の祖ホアカリの命、物部氏の祖ニギハヤヒの命と同一人物で、そして大国主命や事代主命と同じ時代の人物でもあり、初代出雲王がスサノオのミコトに入れ替えられたと書かれています。 ※富家は 出雲大社の元上官家。
そればかりではなく、『先代旧事本紀』などを見ると、尾張氏や物部氏と初めから血縁関係があり、上記⑤番の使い方がありうるのです。

 

古代史には、氏族の関係を敵ならずっと敵と固定的に考える傾向が強い気がしますが、時代によって、敵であったり味方であったりするのです。

 

出雲国に住んでいた種族

 

この考え方は、考古学系の本に多いように思います。もっとも狭い地域に限定した考え方です。ヤマト王権が成立する前には、小さな国々があっただけで、それ以前には広大な出雲王国などは無かったという考えに基づきます。

 

出雲国はどこか

小さな出雲国の話です。

 

島根県には出雲市があり、出雲大社があります。現代では出雲方面と言うと、出雲市周辺のことを思い浮かべますが、古代における出雲国は、島根県の東部全体であり、西は出雲市多伎町、東は松江市、安来市までを言います。
弥生時代あるいは古墳時代のいつからその出雲国が存在したかは不明です。
下の図の出雲国は、律令体制以後の奈良時代の出雲国です。

 

奈良時代の出雲国

  

画像 鳥越憲三郎著『出雲神話の誕生』(講談社文庫)より引用

 

記紀神話における舞台になっている場所は、出雲市が中心ですが、松江市の黄泉平坂、美保関や安来市の比婆山も登場してきます。(比婆山については、鳥取県の母塚山や広島県の比婆山を比定する説もあり。)

 

弥代時代には、四隅突出型墳丘墓(方墳の四隅が舌のように飛び出たような形)が日本海沿岸部を中心に(島根県、鳥取県、兵庫県、福井県、石川県、富山県など)分布していました。
その広範に分布する地域も含めて、広大な出雲王国があったという考え方もあります。

 

古代出雲王の墓と云われる西谷3号墳             島根県出雲市大津町字西谷

 

 

国譲り神話と国つ神

 

古事記、日本書紀の出雲神話のクライマックスに位置づけられるのが、国譲り神話です。

 

地上の世界である葦原の中津国(あしわらのなかつこく)を治めていたのは、大国主命であり、国つ神(あるいは地神)の代表です。

 

天上の世界である高天原(たかまがはら)の代表である天照大御神(天皇の祖先とされている)が、天つ神(天上の神)に国を譲らせようとまず天穂日命(あまのほひのみこと)が地上に派遣されますが、大国主命におもねって国譲りは進みませんでした。

 

国譲り神話の舞台となった稲佐の浜

 

後に他の天つ神が派遣されていきますが、最終的にはフツヌシの神とタケミカヅチの神が交渉して、国譲りをすることとなり、大国主命が幽界にお隠れになります。そして、杵築大社を建て、天穂日命が祭祀を行なうという話で終わります。

 

それから、天照大御神の孫である瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が、地上世界の日向(宮崎県辺り)に降り立ち、日向神話に移っていきます。

 

ざっとこういう流れです。
最初に書きました奈良時代の出雲国を天照大御神に譲る話ではないです。このように理解する人も結構いるのですが、譲ったのは出雲国ではなくて、葦原の中津国です。瓊瓊杵尊が日向ではなく出雲国に降り立つ話でないと、つじつまがあわなくなります。

 

 

参考

 

この国譲り神話が史実で無い事は当然ですが、これが何を意味するのかということが重要です。

 

古代史の世界では、出雲国のヤマト王権への服属を表わしたものと書かれたものが多いです。

 

また考古学ではさらに狭い考え方もあります。出雲国の東部と西部の古墳時代後期の大型古墳の形の違いから、ヤマト王権の力を借りて、西部を東部が支配したのではないかという説(井上光貞説)があるからです。それは、天穂日命を祖とする出雲国造(こくそう)家が松江市から出雲市杵築に移動してきたという史実からの理由もあります。

 

また、女性である持統天皇が孫の文武天皇へ皇位継承する話を正当化するために創作されたのではないかという説(上山春平説)もあります。

 

国譲り神話では、大国主命の息子として書かれた建御名方神(たけみなかたのかみ)のように、信濃(長野県周辺)と関連づけて描かれ、国つ神がすべて出雲国の神々でありません。

 

国つ神VS天つ神の話と考えられていると同時に、先住民族VS渡来民族と考える向きが強い事も否めません。

 

しかし、記紀は中国の陰陽五行思想の影響で、神々を天神地神に分類し、ヤマト王権の天皇の権威を高めるために神話を作ったのだとすると、また別の見方もできます。

 

それに、ヤマト王権成立そのものに、出雲族が関与しているという記述も記紀に書かれているという矛盾点があるからです。

 

ヤマト王権に出雲族が関与している

 

『日本書紀』には、出雲族が天皇家に関与したことが書かれています。

〝綏靖天皇  神渟名川耳天皇
 神渟名川耳天皇は神武天皇の第三子である。母を媛蹈韛五十鈴媛命という。事代主神の長女である。

 

 安寧天皇  磯城津彦玉手看天皇
 磯城津彦玉手看天皇は、神渟名川耳天皇の嫡子である。母を五十鈴依媛命という。事代主神の次女である。

 

 懿徳天皇  大日本彦耜友天皇
 大日本彦耜友天皇は、安寧天皇の第二子である。母を渟名底仲媛命という。事代主神の孫─鴨王(かものきみ)の女(むすめ)である。〟(宇治谷 猛 訳『日本書紀(上)』  講談社文庫111~114頁)(※ 太字は、私)

 

つまりは、事代主神は初期天皇家の皇后の祖先ということです。
ですから、大和では出雲の神様を祀る神社が多いです。

 

鴨都波(かもつば)神社  奈良県御所市宮前町51
現在の祭神は、積羽八重事代主命・下照姫命で、建御名方命を配祀する。

 

また、出雲の神様を祖先とする氏族が多数大和にいます。『新撰姓氏録』(815年)からの抜粋です。

 

『新撰姓氏録(しんせんしょうじろく)』とは
嵯峨天皇の命により平安初期の弘仁6年に、作成された氏族の祖先や系譜を書かれた書物。
京および畿内に住む1182の氏族を「皇別」・「神別」・「諸蕃」の3種類に分類して記載されている。

大和国の「神別」の所に、大国主命や事代主命が登場します。地祇は国つ神のことです。飛鳥直は、天神で間違いではないかと思う方もいるかもしれませんが、他にも例はあります。出雲族=国つ神にこだわりだすと、おかしな話になります。

天神  飛鳥直     天事代主命之後也  
地祇  大神朝臣   素佐能雄命六世孫大国主之後也
地祇  賀茂朝臣   大国主神之後也 
地祇  和仁古    大国主六世孫阿太賀田須命之後也  
地祇  長柄首    天乃八重事代主神之後也

 

奈良県の三輪山
大神朝臣は、三輪山の大物主命の祭祀を行なっていたオオタタネコの末裔

 

出雲族の神を祖先とする氏族は、奈良(大和)だけでなく、京都などの近畿地方に存在します。また、『先代旧事本紀』(平安時代にかかれた書物)には、関東地方の天穂日命を祖とする国造(くにのみやっこ、こくぞう、こくそう)が多数書かれており、出雲系の神社がたくさんあります。

 

全国に出雲族が分布しているのは、明らかです。国々の枠を超えて元々分布していると考えれば自然ですが、あんな田舎の島根県からやってきたという考え方をする人もいます。あまり出雲国と結びつけて、出雲族を位置づけるとよけい混乱します。
また様々な氏族が婚姻関係によって親戚になっているので、純血たる出雲族など存在しないといった方がいいのかもしれません。

 

出雲族はどこから来たか

戦後の通説

戦後の史学において、出雲族はまるで朝鮮半島からの渡来民族であるかのように書かれていました。その根拠は、地図上でみると出雲国の場所が朝鮮半島に近いことと、『日本書紀』の一書(あるふみ)、つまり異伝に書かれていることによります。「一書」は全部で六つあります。

 

"一書(第四)にいう。素戔嗚尊の行ないがひどかった。そこで神々が、千座(ちくら)の置戸(おきど)の罪を科せられて追放された。このとき素戔嗚尊は、その子五十猛神(いそたけるのかみ)をひきいて、新羅(しらぎ)の国に降られて、曾尸茂梨(そしもり)(ソホル即ち都の意か)のところにおいでになった。そこで不服の言葉をいはれて、「この地には私は居たくないのだ」と。ついに土で船を造り舟を造り、それに乗って東の方に渡り、出雲の国の簸の川の上流にある、鳥上の山についた。…後略・・・"

 

"一書(第五)にいう。素戔嗚尊がいわれるのに、「韓郷(からくに)の島には金銀がある。もしわが子の治める国に、舟がなかったらよくないだろう。・・・後略・・・"  宇治谷 猛 全現代語訳 『日本書紀 上』 講談社学術文庫

 

たいした科学的根拠もないのに、古代史は考察されることも多いと思います。『古事記』『日本書紀』が、伝承や史実も含んでいると思いますが、当時の為政者に都合のよいような創作もあろうし、当時の氏族の関係も反映したのではないかと思います。

 

素戔嗚尊が、出雲族の始祖でないとすると、また別の話になります。

 

「出雲人」のDNA

 

斎藤成也著『日本人の源流』(河出書房新社)という各地の日本人のDNA解析をした本があります。
その中の分析で面白いことが書かれていました。

 

前提として、この出雲人というのは、古代の出雲族を意味しません。現代の出雲市出身者ならび出雲市周辺に住む人達を出雲人
として解析しておられます。下のカッコはその本の引用です。

 

"出雲が含まれる山陰地方は、地理的に朝鮮半島に近いので、人々のDNAも関東地方の人々より大陸の人々に近くなるのではないかと予想していたいたのだが、そうではなかった。わずかではあるが、むしろ関東地方のヤマト人のほうが、出雲地方のヤマト人よりも、大陸の人々に遺伝的には近かったのである。"

"おもしろいことに、出雲を含む中国地方からみると、もっとも近縁なのは東北地方だった。"

"こうなるとますます、中国地方に含まれる出雲と東北との遺伝的関連性が強まってくる。現代東北人はエミシの子孫であり、エミシはアイヌ人の祖先集団が東北から北海道に移ったあとにひろがったと考えられる。ということは、エミシと出雲はつながっていることになるのではないか。"

 

また都道府県別のミトコンドリアDNAの主成分分析を見ると、沖縄県人のミトコンドリア頻度パターンが島根県人に類似していてびっくりします。その原因として、

"縄文系を含むかもしれないM7系統の頻度である。全国平均14パーセントだが、沖縄県、宮崎県、長崎県、島根県、青森県では頻度が20パーセントを越えている。"

などがあるらしい。

 

現代がストレートな古代の投影ではないのでしょうが、たいへん趣深いです。仮に縄文人の子孫だと仮定すると、後から渡来してきた種族でないことになります。

 

応援のクリックをいただきますようお願いいたします。


にほんブログ村 歴史ブログへ
にほんブログ村

古代史ランキング

 

このエントリーをはてなブックマークに追加