菟名手(うなて)出雲市の、昔朝山郷であったところに、豊国(現在の福岡県東部および大分県全域)の国造の祖と同じ「宇那手(うなて)」の地名がある。そこに櫛八玉命を祀る火守神社(ほもりじんじゃ)がある。(→ ウィキペディア 火守神社 )なぜに豊国と縁があるのか、いつからの地名なのか?火守(ほもり)神社 島...

赤人社「湊社の次には赤人社を詣でるが、この祭神も別火氏の祖である。」(千家 尊統著 『出雲大社』 学生社発行)とあった。赤人社の祭神は、万葉歌人 山部赤人である。(→ ウィキペディア 山部 赤人 )別火氏の先祖がなぜ山部赤人なのか、さっぱりわからない。『雲陽誌』(1717年)にも、大社町「赤塚」の地...

杵築(出雲)大社社家順名書近世における出雲大社の上官社家は、向家文書の『社家順名書』を見る限りでは、北島・千家の両国造家 合わせて17人であり、北島方8人+千家方8人+別火家だったと思える。それ以前はどうだったかと云うと、『向家文書』(現代語訳)によると、〝一、上古より(出雲)国造(54代)孝時の世...

旅伏山の麓平田の町を見下ろす旅伏山(たぶしさん)『島津家久上京日記』によれば、戦国時代には平田まで宍道湖があり、平田は港町であった。宍道湖は現在は、汽水湖であるが、「蓮一町はかり咲乱たる中」というように、ハスが一面に咲き乱れている風景が書かれており、この当時の塩分濃度はかなり薄かったと思われる。これ...

宍道湖の最西端宍道湖の沈む夕日を眺めていると、宍道湖の遥か遠くに、宍道湖に浮かぶ一つの島に夕日が落ちていくように見える。しかしながら、宍道湖の西にそんな島などは無い。宍道湖に沈む夕日一つの島に見えるのは、実は出雲国西部の山である。それも、一つの山ではなく、「鼻高山」と「旅伏山」が重なりあって、一つの...

中世 出雲大社の前には大きな湖が広がっていた。奈良時代には出雲大社の前には、神門の水海という大きな湖があった。中世にも依然として大きな湖として、水運を担った港があった。近世には、河川堆積により一気に埋め立てられたとされる。〝神門(かんど)の水海(みずうみ)。郡家(ぐうけ)の正西四里五十歩の所にある。...

身逃げの神事の概要出雲大社には、「身逃げの神事(亦の名はみみげの神事)」という不思議な祭祀がある。「しまね観光ナビ」の説明をお借りすると、下記の通りである。〝8月14日深夜(午前1時)境内の門はすべて開放され、禰宜(ねぎ)は本殿に参拝し、大国主命の御神幸(ごしんこう)にお供する。湊(みなと)社、赤人...

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