柳田国男 『石神問答』
マリンパーク多古鼻 展望台から美保関方面を眺める 島根県松江市島根町 多古

民俗学者 柳田国男氏は、山中大人氏との書簡の中で、『古史伝』の「猿田=サダ』を踏まえた上でさらに「サダ=ミサキ」として述べています。
(前略)此因に愚見御批判を仰ぎ度は 此神の名猿田と云ふ語は やがて亦ミサキと同じ義なりしならんかと思はるゝことに候
古史伝には猿田はサダにして 出雲の佐陀大神は同じ神なりと論ぜられ候
出雲の佐陀は島根半島の中央にて 現今の社地は海角には非ず候へ共 此半島は即ち狭田ノ国にて 西にも東にもミサキは有之候
『柳田国男全集 第一巻 石神問答』 筑摩書房 1999年6月30日発行
※海角(かいかく)…陸地が海に突き出た細い部分、岬。
ナズナ鼻 島根県松江市鹿島町片句
西日本の日本海側には、岬というよりも鼻の名前が多い。鼻というよりも、大きな蛇が横たわっているように見える。

岬をサダと申候は独此地に止まらず
伊予の御鼻と称する佐田岬 大隅の佐多岬有之候上 土佐の足摺崎も亦蹉跎岬(さだみさき)にて 船人が大隅のと区別する為に 之をアシズリと唱へたるに外ならざるべく候
かく迄類例ある上はサダはミサキの義なること最早疑なく 而してミサキのミは水とは関係なく 始めて此国に入り立ちたまひし御時には嚮導の義なりしと同じく 既に此国に鎮まりたまひて後は 国の境即ち直に外域に対する地方をさしてミサキと申すことゝなり
延いては一邑落一平原のサカ又はソキをもミサキと呼びサダと唱へしかと存じ候
此の如く解するときは塞の神と猿田の神とを混同するに及びたる次第も稍明かになるやうに存じ候
『柳田国男全集 第一巻 石神問答』 筑摩書房 1999年6月30日発行
サダ、サタの名前の付いた岬
柳田国男氏の言うように、大きな岬の名前が皆「サダ(サタ)岬」という同じ名前です。
柳田国男氏によれば、岬は、単に半島の先っぽ(崎)ということだけではなく、外域に対する地方、つまり「異界」であり、サダの神は「境界神」だそうだ。
佐田岬 愛媛県伊方町 画像出典 →ウィキペディア 佐田岬

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佐多岬 鹿児島県肝属郡南大隅町佐多馬籠 画像出典 →ウィキペディア 佐多岬
Hashi photo – 投稿者自身による作品, CC 表示 3.0, リンクによる
足摺岬 高知県南西部土佐清水市 古くは「さだのみさき」と云ったという。
画像出典→ウィキペディア 足摺岬
日:Muramasa– 日:Muramasa自身による撮影, CC 表示-継承 3.0, リンクによる
越鳥鼻と弁天島 島根県松江市島根町大芦 越鳥鼻
『出雲国風土記』(733年)には、「須須比御埼」の名で見える。岬を「鼻」と呼ぶようになったのは、後代になってからなのかもしれない。

インドにもサダの岬
猿田彦命は、富家伝承によればインドを原郷とする神ということなので、もしや、インドにもサダ岬があるのではないかと思い、
インターネットで検索したら、なんとゴア州のヴァスコダガマに「Sada岬」がありました。
どういう由来があるのか、どんな意味なのか、インターネットや図書館で調べてみたが、どこにも載っていませんでした。
そういう名前になったのは、単なる偶然なのかもしれません。