なぜに佐太「御子」社?

 

『出雲国風土記』(733年)によれば、秋鹿郡の神社の項目に「佐太御子社」(現在の佐太神社)の記載がある。

 

佐太神社では、佐太の大神ではなくて、その御子(子ども)なのである。御子は誰?と、新たな疑問が浮かんでくる。

 

長い間そのことが気になっていたが、

 

谷戸貞彦著『幸の神と龍』(大元出版)を読んでいて、これが答えかなと、思える箇所があった。

 

161頁だが、

 

“サルタ彦神は久那斗の大神の息子なので、「御子神」とも言われる。

 

山陰民俗学会編集の『年中行事』に、その記事がある。石塚尊俊(編集代表)の記述は次のとおり。

 

「ミコ神という名の信仰は出雲から美作・備中・備前・備後のところどころ、それに四国の讃岐の讃岐・阿波・土佐の一部にある。…

 

『雲陽誌』(1717年、出雲国の地誌)の秋鹿郡西谷の条に、御子神、天鈿女命をまつる、同郡長江、御子神、天鈿女命なり、と出ている。

 

…祭られている場所は、裏側のナンドとユルリノマすなわち台所との間のウチオイと称する部屋で、ここが主人夫婦の寝間になっている」”(太字表記は、私)

 

 

天鈿女命と一緒に祀られるとなると、御子神は猿田彦命ということになる。

 

そして猿田彦命が御子神ならば、父親が久那戸大神で母親が、幸の神というわけである。

 

この御子神というところだが、谷戸貞彦氏によれば、猿田彦命はもともとは、インドのシバ神の御子神ガネーシャであり、

 

“その神は後には仏教に取り入れられて、「聖天様」になるが、ガネーシャ信仰は、民間には古代からあった。それを、出雲族が日本に持ってきたと、伝えられる。”(谷戸貞彦著『幸の神と龍』 大元出版)

 

ガネーシャ  画像出典→ウィキペディア ガネーシャ

 

1 Hindu deity Ganesha on ceramic tile at Munnar Kerala India March 2014.jpg
Jean-Pierre Dalbéra - Flickr: Ganesha (Munnar, Inde), CC 表示 2.0, リンクによる

 

聖天  画像出典→ウィキペディア 歓喜天

 

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不明 - 平安時代の図像集『別尊雑記』(心覚 撰)巻 42より, パブリック・ドメイン, リンクによる

 

佐太大神は象頭神か

 

このガネーシャだが、象の頭の神様で、障がい除去の神様と言われている。この神は、役割が、塞ノ神と同じで、悪霊の侵入を防ぐという障神(さえのかみ)だ。

 

ウィキペディアによれば、

 

“ヴィナーヤカ(Vināyaka、無上)、ヴィグネーシュヴァラ(Vighneśvara、障害除去)、ガネーシャ(Gaṇeśa、群集の長)、ガナパティ(Gaṇapati、群集の主)との神名を持つ。

 

元来は障害神であったのが、あらゆる障害を司る故に障害を除去する善神へと変化した。” (ウィキペディア ガネーシャより)

 

 

頭が象であるがゆえ、鼻が長い。そして、いつしか、猿田彦命の風貌が「鼻長」から天狗の風貌のように「鼻高」に変わったのかもしれない。

 

柳田国男氏によれば、岐神(猿田彦命も含めて)は、太古よりいる神で、様々なる神々、そして、象頭神とも習合し、里の守り神として成っていった。

 

道祖神、御霊、象頭神、聖神、大将軍、赤口赤下の神など…なかなか習合度が高い神様である。

 

“例の石神及び岐神は昔より此国におはせし神にして 辺防を職掌とせられしやうなれども此上に猶道祖と云ひ御霊と云ひ象頭神と云ひ聖神と云ひ大将軍又は赤口赤舌の神と云ふなど聞伝へし限、有る限の神を頼みて里の守護を任するやうに相成候か”(『石神問答』 34 柳田より松岡輝夫氏へ )

 

象をキサと云う

また、柳田国男氏は象を古くから「キサ」と云ったことも述べている。

 

“又遠江敷智郡岐佐神社は象神ならんか 象をキサと云ふことは古けれども 其義及由来を知る能はず”(『石神問答』 33 柳田より緒方翁へ 解説 )

 

 

岐佐神社  静岡市浜松市西区舞阪町舞阪1973

 

祭神は、蚶貝比売命(キサガイ姫 佐太大神の母神 支佐加比売命)と蛤貝比売命。

 

Kis-jinja.jpg
Daihouzi - in Hamamatsu, Japan, CC 表示-継承 4.0, リンクによる

 

加賀神社 島根県松江市島根町加賀1490 

 

枳佐加比売命を主祭神とし、伊弉諾尊、伊弉冊尊、天照大神、猿田彦命を配神とする。

 

元々は、加賀の潜戸にあったと伝えられている。

 

佐太大神,潜戸,猿田彦命

 

なんたることか、佐太の大神の母神は、赤貝の神様だということだったが、象の神様とも関係していたのだ。

 

このように、象と関係しているとなれば、佐太大神は、もう猿田彦命としか思われない。

 

道祖神とガネーシャ(歓喜天)が近世になって習合したとの説だが、これはどうも出発点から、猿田彦命は象頭神だったのかもしれない。 

 

 

 

参考文献    『謎のサルタヒコ』鎌田 東二 (編著) 創元社 

 

        『境界神としてのサルタヒコ』 張麗山 著 

 

        『幸の神と龍』谷戸貞彦著 大元出版 

 

        『新修平田篤胤全集第三巻』名著出版

 

        『柳田国男全集 第一巻 石神問答』 筑摩書房 

 

        『解説 出雲風土記』島根県古代文化センター編  今井出版

 

        『島根町誌 本編』 島根町教育委員会発行

 

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