生山の地

 

 

生山(しょうやま)の地は、鳥取県の地名です。

 

現在の正確な地名は、「鳥取県日野郡日南町生山」です。

 

日野川が、大きく西側に曲がる場所であり、南の石見川と日野川が合流する場所です。

 

日野川をここから西に行くと、東西の楽々福神社(江戸時代は大社)につながる街道であり、南に行くと、大国主命の2度目の復活の伝承のある大石見神社にたどりつきます。そのような分岐点が生山の地なのです。

 

生山八幡宮

 

線路の手前にある生山神社 鳥居

 

 

 

JR生山駅から5分程度歩きますと、生山神社に着きます。

 

生山神社は、JRの線路をまたいでいかないと行けない珍しい神社です。

 

参道の上に後から、鉄道が建設されたのでしょう。

 

この生山神社は江戸時代までは、生山八幡宮でした。

 

寛保2年(1742年)
『伯耆民諺記』(ほうきみんげんき) 巻之十二に、生山八幡宮のことが、書いてあります。

 

生山八幡宮  日野郡生山邑

 

当社山の上、柴瀧と云有り。孝霊天皇の姫宮福姫の御誕生の處柴瀧とあるという。

 

今印賀村の楽々福大明神は此福姫を祭りし神なり。

 

又此地を生山といふ事も福姫御出生なるゆへに依て生山と称すとかや。

 

当山 古城のあとあり、久志路和泉守景行の居城なり。

 

孝霊天皇の皇女である福姫が、誕生したいわれにより、生山という地名ができたように書いてあります。

 

生山八幡宮の鎮座する山の上に「柴瀧」という場所があり、そこで福姫がお生まれになったと。

 

現在の生山神社の鎮座するこの山のどこかに柴瀧という地名があるのか?

 

いいえ、そうではありません。
生山神社は、元々ここにあったわけではありません。

 

生山神社 鳥取県日野郡日南町生山783

 

 

亀山

 

『伯耆誌』(1850年)には、生山八幡宮が遷宮(移動)したことが書かれています。

 

当社もと古城址亀井山に在りしが当城廃轉の後、今の社地に移すといへり。

 

如此往古は城内に勧請有しを以て按るに城主山名氏關氏等の信仰によりて当社を勧請せるなるべし。

 

ここのお城とは、生山城であり、別名亀井山城、日野本城とも呼ばれています。

 

生山八幡宮は、現在の生山神社と対面の山である亀井山に鎮座していたそうです。

 

亀井山は登れば、城の石垣跡が見えるようですが、登山道もなく、

 

柴瀧という場所がどこだったのかそれも確認できないようです。

 

亀井山  JR生山駅の真ん前です。

 

 

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続く

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