孝霊天皇の皇后・細姫命(「くわしひめのみこと」あるいは、「さいひめのみこと」)が、生山で福姫命を出産したことを述べました。
しかし、日野川の半ば程にある菅福神社には、また別の伝承があります。
菅福神社(すげふくじんじゃ)の伝承
菅福神社 鳥取県日野郡日野町上菅250番
『鳥取県神社誌』(昭和10年 鳥取県神職会 編)にここの神社の伝承が載っています。
国立国会図書館デジタルコレクションで読めます。
当社の社伝記に、母来国日野郡菅ノ郷に鎮座の高宮大明神は人皇七代の帝孝霊天皇御舊跡の御社なり、
此大御代に皇尊に背き国民を悩す者あり、牛鬼といふ、帝親征皇后細姫命幸を共にし給ふ、
『鳥取県神社誌』(昭和10年 鳥取県神職会 編)
伯耆国日野郡菅の里に鎮座している高宮明神(現在の菅福神社、江戸時代は皇宮大明神と呼ばれていた。)は、孝霊天皇の旧跡の神社です。
孝霊天皇の時代に、天皇に背き、人々を悩ます牛鬼がいました。
この牛鬼を退治するため天皇が行幸された時、細姫命もお供されました。
産月に成りて此郷に到り給ふ、時に河の辺りに大なる石有りて是を高御座となし、
小菅を苅り蔦と成し御鏡を石の上に置き給ひ、姫御子御降誕福姫命といふ時に河音姦しく、
『鳥取県神社誌』(昭和10年 鳥取県神職会 編)
※姦しい 「かしましい」・・・やかましい。
※菅 「すげ」・・・菅笠、蓑の材料となる植物名
菅福神社の杜近くの日野川 昔は川に島のようなところがあったのでしょう。

細姫命は、子供が生まれる月に、菅の里に到着しました。
川辺に大きな石があり、ここで休まれることになりました。
小さな菅を刈り、石の上に敷き、御鏡を置きましたら、娘の福姫命がお生まれになりました。
その時、川の音がやかましかったのです。
天皇彼の御鏡を河に沈め給ひて河伯に祈り給ふ、忽ち河音止まりぬ、
其所を名けて音無川と云ひ其地を産盥と云ふ、
更に宮所を求め給ひ行宮を造らし給ふ、
『鳥取県神社誌』(昭和10年 鳥取県神職会 編)
※河伯・・・川の神、あるいは河童。
天皇は、鏡を川に沈め川の神に祈りました。そうすると、川の音が止みました。
それで、この川を音無川と名づけ、その地を産盥(うぶたらい)といいます。
さらに近くに行宮を作られました。
今の高宮社の地是なり、鏡を置かせ給へる所を鏡岩大明神と齋ひ奉り、
菅を苅らせ給ひし所を菅の里といふと。
『鳥取県神社誌』(昭和10年 鳥取県神職会 編)
孝霊天皇の行宮があった場所が、現在の高宮社(菅福神社)の場所です。
鏡を置いた場所を、鏡岩大明神として祀り、菅を刈らせた所を菅の里というようになったということです。
菅福神社境内の鏡大明神

当時でも鏡は貴重な宝物です。姿見をする道具というよりは、祭祀道具であったのです。
鏡を川や池に沈めるという祭祀が古代にはあったようです。