島根県飯石郡飯南町の来島地区の地名「来島」は、大国主命6世孫とされる伎自麻都美命(きじまつみのみこと)に由来する地名です。
大国主命6世孫ということですが、それはなんの本に書かれているのでしょうか?

 

 

『出雲国風土記』の来島郷

 

伎自麻都美命を祀る來嶋神社

 

 

ここの地名由来は、『出雲国風土記』(733年)に書かれています。

来島郷(きじまごう)。

 

郡家の正南四十一里の所にある。伎自麻都美(きじまつみ)命が鎮座していらっしゃる。だから支自真(きじま)という。〔神亀三年に字を来嶋と改めた。〕この郷には正倉がある。(島根県古代文化センター編 『解説 出雲風土記』 今井出版)

 

伎自麻都美命という聞きなれない神様の名前です。
記紀神話にも登場してきません。大国主命の6世孫ということですが、『古事記』に書かれた大国主命の系譜を見てみます。

 

『古事記』における大国主命の系図

 

 

6世孫 多比理岐志麻流美神

 

系図を見る限り、「多比理岐志麻流美神」(たひりきしまるみのかみ)となっています。伎自麻都美命(きじまつみのみこと)ではありません。いろいろ調べましたら、「多比理岐志麻流美神」は、「たひり」「きしまるみ」二つに分解できます。

 

「きしまるみ」と「きじまつみ」でよく似ています。「この類似性からの発想である。」と、『頓原町誌』(平成16年11月30日発行)に書かれていました。古い文献に書かれていないか探しましたら、本居宣長の『古事記伝』に書かれていました。

 

本居宣長 『古事記伝』

 

○甕主日子神(ミカヌシヒコノカミ)。外祖父の名によっている。○淤加美神(オカミノカミ)は前に出ていて、龍神である。それなのに、その娘というのは、大三輪の神が麗しい男になって人間の娘に通ったように、龍神が男の姿になって人間の女に生ませた子である。【淤加美神の娘、日河比賣もこれと同じ。】

 

さて、淤加美神社は国々に多いので、どこの神かもわからない。○比那良志毘賣(ヒナラシビメ)。延喜式には、出雲國神門郡に比那神社がある。良志(ラシ)は足(タラシ)の上を略したものだろうか。隠岐國知夫郡にも比奈麻治比賣(ヒナマジヒメ)命神社がある。【「ラシ」と「マジ」は横に通うので、もしかしたら、この神だろうか。

 

海中に漂う者は、この神の霊験を蒙ることが多いと、延暦十八年五月の類聚国史に出ている。これは龍神の娘だから、海を渡る者を守るのもあるかもしれない。】○多比理岐志麻流美神(タヒリキシマルミノカミ)。延喜式に、備後國品治郡の多理比理(タリヒリ)神社【同国の甲奴郡に意加美(オカミ)神社、惠蘇郡に多加意加美(タカオカミ)神社がある。】がある。

 

出雲風土記に「飯石郡來嶋郷は、伎自麻都美(キジマツミ)命が鎮座していらっしゃる。だから支自真(キジマ)という」とあるのは、この神であろう。【延喜式に、安房國安房郡、安房に坐す神社の次に、后神太比理刀咩(タヒリトメ)命神社がある。されどこれは女神である。延喜式の今の本では、この太の字を天に、また刀の字を乃に誤っている。今は文徳実録によって引用する。】(古事記伝 十一之巻 現代語訳 より抜粋 )※岩波文庫 倉野憲司校訂を参考に平易な現代語にしました。 

 

來嶋神社の鎮座する来島湖(きじまこ)

 

 

来島郷は、神戸川の上流に発展した水に恵まれた郷であるようです。

 

母が水の神である淤加美神の娘というのも、何か意味があるのかもしれません。

 

 

磐鋤川と今石神社

 

『出雲国風土記』の飯石郡山野の所に、

 

野見(のみ)、木見(きみ)、石次(いわすき)の三野

 

とあります。「野」は、『出雲国風土記」において、「樹木のない」山、草山のこととされています。

 

「野見野」は飯南町の呑谷の山と言われています。

 

野見と言えば、相撲の元祖 野見宿禰の名前が浮かびますが、野見宿禰の伝承地でもあります。→ 野見宿禰の墓(4) 系譜の謎  出雲国飯石郡来嶋郷野見

 

野見野の看板    島根県飯南町上赤名呑谷

 

 

「木見野」は、下来島川尻の木見山(標高443メートル)と言われています。

 

石次(いわすき)

石次という地名はいまでもあります。

 

石次から見た山々です。ここが出雲国風土記時代の「石次野」だと思います。

 

 

中心に田んぼに大きな木が生えています。

 

ここに鎮座しているのが今石神社です。

 

元は石次神社と呼ばれていたようです。

 

今石神社

 

 

しめ縄がかけてある石が、鋤の形に似ていて、おそらくこれが石鋤(いしすき)→石次の由来なのでしょう。

 

大正7年(1918年)の『飯石郡史』には次のように書かれています。

 

磐鉏川の邊に石次神社(今赤穴八幡宮に合祀せり)存在し其祭神は伊毘志都弊命にして

 

元社地は磐鉏川に沿ひ巨杉数株蓊鬱として天を摩したるが下に名高き磐鉏(イワスキ)

 

現存す形は鉏に似たる大磐石にて高一丈餘、最大の部幅五尺許り厚之に稱へ上部に當り凹たる鉏の柄處とも思わるる窪線を存す

 

社伝によれば神代の昔 命が此磐石を以て本郡開拓の偉功を遂げ玉ひしといへり 考古学者の説によれば此磐石は奥州にも一個存在して

 

日本にても珍らしき考古的の者なりと磐鉏川の名も亦此に基けるより見れば其伝承の古きのみならず

 

此一小社地は終古に伝ふべき本郡に関する史的記念地なり

※ 伊毘志都弊命(いびしつべのみこと)・・・この神の名前から、「飯石郡」「飯石郷」という地名が発生したと『出雲国風土記』に書かれている。

 

 

古墳時代(5世紀)の鋤 西川津遺跡 古代出雲歴史博物館

 

※ 鉏(さい)・・・①刀や小刀 ②鋤(すき)ここでは②で、農作業や土木作業で使うスコップのように地面にさしこんで使う道具。

 

磐鋤川(いわすきがわ) 現在の赤名川で神戸川の上流である。

 

 

 

< 前の記事へ

 

 このエントリーをはてなブックマークに追加 

Copyright © 2024 古代出雲への道All Rights Reserved.