伯耆の祭りの特徴

中山神社(鳥取県西伯郡大山町束積)の道祖神さん わらで作った馬が供えられている。

 

 

淀江町教育事業団発行「未来にヒントを!! 伯耆のサイの神さん」からの抜粋である。(番号は、私がつけた。)

 

①昔は、淀江町や中山町では、竹やむしろで子供がこもる小屋を作ったり、淀江町では小型のサイの神さんを宿に迎えて絵具などで採食し化粧することも行われました。

 

② 一二月十五日午前0時をすぎるとサイの神さんの前で火がたかれます。サイの神さんは縁結びの神さんで早くまいるほど良い縁があり、遅くなるほど縁遠くなるといわれ暗いうちからきそっておまいりするのです。

 

③男の子はわらづとをせおわせた「わら馬」を、女の子は「わらづと」を持ってまいります。わら馬は尻尾を焼いて供えるか、木につるしたり木の上に投げかけます。※ 藁苞(わらづと)とは、いわゆる、納豆をくるむ藁でつくった入れ物です。

 

④「カタ焼き」といって米の粉や小麦粉だんごの中にあんを入れ両面を焼き上げたもの、小豆飯、米なども供えます。中山町岡ではかならず塩けご飯の「くじら飯」が供えられます。

 

⑤中山町御崎では小屋ごと焼いたり、名和町塚宮神社には大塚と塚根の二体のサイの神さんがあって、お互いにきそいあって火をたきました。また、江府町尾上原では、サイの神さんのご神体はありませんが、村の入り口の祭場で火をたくといわれます。サイの神祭りは火祭りであったと言えるようです。

 

 

「とんどさん」とどこが違うのか?

 

5番目の伯耆町のサイの神まつりの特徴を見て、もしや「とんどさん」ではないか?と、思ってしまった。一般的には、小正月、1月15日に行われる行事のとんどさんである。

 

なぜそう思うのかは、富山県下新川郡入善町上野邑町で行われる小正月の火祭りが、塞の神まつり・邑町のサイノカミと呼ばれているからだ。

 

起原は諸説ある様だが、昔、村境にあった蔵堀の川に木偶(でく)人形が流れ着き、祟りを恐れた村人が木偶人形を焼き無病息災を願いこの地に塞の神を祀ったのが始まりとされている。( 参考 ⇒ ウィキペディア 塞の神まつり

 

このように、とんどさん(左義長)を「塞の神まつり」として行っている地域は、意外にも多い。 参考⇒ ウィキペディア 左義長

 

伯耆地方で行われるサイの神祭りは、12月15日だが、もしや、旧暦の12月15日、新暦に移って、1月15日に行われるようになったのではないか?などと想像したりもした。

 

しかし、伯耆地方では、サイノカミ祭りと別に、とんどさんを1月に行っている。

 

南インドの小正月の祭り

 

1月15日の小正月の行事は、南インドでも行われているようだ。

 

「一月十五日の夜…、コダンダラマン教授の親戚の人たち十数人が立ち上がり、小さい子供が先頭に立って『ポンガロー ポンガル』と大声で叫びながら家の周りを廻り始めた。」

 

「タミルでもポンガルの前日(つまり年末)に、大きな箱、着物、莚など古した物を焼く。現在はこの行事をBokiといっている。これは雷の神インドラの名である。

 

年の初めに雨を乞う行事と見られるようになったわけである。」(大野 晋著『日本語の源流を求めて』 岩波新書)

 

昨今では、出雲地方では1月15日ではなく、1月7日前後の日曜日に行うところも多い。大正月を終えるための儀式に変容しているように思える。

 

しかし、「本来は一月十四日が年末なのでその年の使い古した物を焼く行事だった。」(大野 晋著『日本語の源流を求めて』 岩波新書より)とのことである。

 

しかし、なぜ、伯耆のサイの神まつりでは馬のしっぽをこがすのだろう。

 

新潟県のサイの神祭りでは、木でサイノカミさんを造り、いっしょに燃やすところが多いようだ。

 

神様を燃やす!?いったいどういう意味があるのだろうと思ったが、ふと、縄文時代の祭祀のことが思い浮かんだ。

 

 

縄文時代の廃屋儀礼

 

縄文時代は、藁の馬や木で作ったサイノカミさんではなく、石棒が神様だった。

 

縄文時代の遺跡からは、様々な石棒が発見されているし、日本だけではなく、古代の性器信仰は万国共通のことだ。
⇒ ウィキペディア 石棒

 

石棒祭祀と言っても時代によって違うけれども、石棒が火の中でくべられたのだ。

 

「中期末以降は、住居の廃絶にともなう儀礼行為の一環として、石棒を火にくべるという祭祀行為が盛んにおこなわれるようになり、それが発展して後期前葉以降に廃屋儀礼が活発化するという、おおまかな変化が指摘されるのである。」(山本暉久『住居跡出土の大型石棒についてーとくに廃屋儀礼とのかかわりにおいてー』,谷口 康浩編『縄文人の石神~大型石棒にみる祭儀行為~』 六一書房 )

 

神のしるしであった石棒は役目を終えると燃やされ破砕された。

 

現代のサイの神祭りで、木のサイノ神さんが、燃やされるという事例から思うのだが、この縄文時代の廃屋儀礼と何か関係していないかなと思った。

 

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