出雲国楯縫郡のかんなび山

 

『出雲国風土記』(733年)の楯縫郡の山野のところで、アジスキタカヒコネノミコトの息子のことが書かれている。

 

神名樋(かんなび)山。

 

郡家(ぐうけ)の東北六里(り)一百六十歩(ほ)の所にある。高さは一百二十丈(じょう)五尺(しゃく)、周りは二十一里一百八十歩ある。嵬(みね)の西に石神がある。高さは一丈、周りは一丈、径(みち)の側に小さい石神が一百余りある。

 

古老が伝えて言うには、阿遅須枳高日子命(あじすきたかひこ)の后の天御梶日女(あめのみかじひめ)命が、多宮(たく)村までいらっしゃって多伎都比古(たきつひこ)命をお産みになった。

 

そのとき お腹の子供に教えておっしゃられたことには、「汝のお母様が御祖(みおや)の向位に生もうと思うが、ここがちょうどよい。」とおっしゃられた。

 

いわゆる石神は、これこそ多伎都比古命の御魂である。日照りのときに雨乞いをすると必ず雨を降らせてくれる。(島根県古代文化センター編 『解説 出雲風土記』 今井出版)

 

ここに登場するかんなび山は、出雲市多久町の大船山(標高327m)ということになっている。

 

大船山

 

 

さて、アジスキタカヒコネノミコトの妻が、天御梶日女(あめのみかじひめ)命であり、天𤭖津日女命(あまのみつかつひめ)と、同じ神だとする説がありますが、同じ神なら、同じ名前で書かれるべきであり、単に似た名前か、2代目の天𤭖津日女命だったのかもしれない。

 

そういう氏族の系統の女神か、『出雲国風土記』には何も載っていないし、過去に研究されたこともないようだ。

 

その生んだ場所が、「御祖の向位」であったという。
一般的に、御祖は父であり向位は向かい合った位置と解されている。父と向かい合った場所が、大船山だったのか。

 

しかし、妻問い婚の原理からすると、生まれた場所は、父親はともかく、母祖の居る場所と考えられるのではないか。

 

多伎都比古命は、宗像族の孫

 

「御祖の向位」はともかく、子どもの名前は多伎都比古(たきつひこ)命であるという。
その名前からピンとくるのは、アジスキタカヒコネノミコトの母親の名前、多紀理姫命である。

 

『古事記』には、アジスキタカヒコネノミコトと宗像族との関係が書かれている。

 

故、この大国主命、胸形の奥津宮に坐す神、多紀理毘売命を娶して生める子は、阿遅鉏高日子根神。次に妹高比売命。亦の名は下光比売命。

 

つまり、多伎都比古命は、多紀理毘売命の孫である。

 

 

上の表は、『古事記』の表記に沿って作成した。
多紀理毘売命は、タキリヒメあるいはタゴリヒメ(田心姫)とも呼ばれる。

 

多久神社(たくじんじゃ)の石段  多久神社の祭神は、多伎都彦命 天御梶姫命

 

 

多久はどういう意味か

『出雲国風土記』には、楯縫郡の総記に、神魂命が言った言葉に、天日栖宮(杵築大社のこと)を千尋もある長い栲(たく)なわで結んでとある。もしかしたら、この栲(たく)から来ているのか?
高皇産霊神の娘神で、栲幡千千姫命が登場するが、この栲は、楮の繊維または白膠木とも言い、白膠木(ウルシ科)の古名は「かずの木」。また「かずの木」は、一説には「梶木」(クワ科)とも言われる。
天御梶日女命の「梶」と「多久」が関係しているのかもしれない。
また、丹波に同名の多久神社があり、現在は豊宇賀能咩命を祭神とされているが、『年中行事秘抄』には、「姓録神魂命男多久豆玉命按賀茂建玉依彦命歟」ともあり、「左京神別天神爪工連 神魂命子多久都玉命三世孫天仁木命之後也」などのように、神魂命の3世孫「多久都玉命」に関係する祭神であったのかもしれず、多久豆玉命の神名からの「多久」なのかもしれない。

 

神門郡多伎郷にもある多伎都比古命生誕の伝承

 

『田岐郷土誌』(1932年)を読んでいたら、多伎都比古命生誕の神社が、高丸という山(多伎の東南)にあると書かれてあり、びっくりした。
この文書の後に、証拠となるべく『古史正文』(平田篤胤 著)の抜粋が載せられていた。

 

高丸=向位神社
海抜200m余 頂上に小祠あり 側に巨木聳えしも 先年落雷の為 枯れ失せたり。
高丸は多伎の巽位にして出雲大社の向位なる神名樋山の別名なり。この霊域は阿遅須枳高日子根命の媛神 天御梶日女命 多伎都彦命を生み座せる神蹟なればなり。

 

『古史正文』の原文を読んでみたら、確かに「多久村」ではなく「多吉村」と書かれていた。
江戸時代には、多伎郷の向位の伝承が平田篤胤の耳に届くところなっていた。

 

ここの多伎郷には、『出雲国風土記』では、アジスキタカヒコネノミコトも天御梶姫命も登場しない。
出て来るのは、阿陀加夜努志多伎吉比売命(あだかやぬしたききひめ)のみである。

 

多伎郷(たきごう)

 

郡家の南西二十里の所にある。所造天下大神の御子、阿陀加夜努志多伎吉比売命(あだかやぬしたききひめ)が鎮座していらっしゃった。だから、多吉(たき)という。〔神亀三年に字を多伎と改めた。〕(島根県古代文化センター編 『解説 出雲風土記』 今井出版)

 

多伎神社 島根県出雲市多伎町多岐639番地
祭神は阿陀加夜努志多伎吉比売命

 

 

この阿陀加夜(あだかや)は、地名と考えられている。島根県東部の松江市に出雲郷(あだかえ)という地名があり、そこに阿太加夜神社が鎮座しており、たいへん謎に満ちている。

 

多伎吉比売命の「多伎」から郷名が成り立っているが、この姫は、アジスキタカヒコネノミコトの妹の下照姫命(別名高姫)と一説には考えられている。(『島根県秋鹿村誌』)

 

しかし、記紀神話には登場しないが、『先代旧事本紀』には事代主命の妹に高照姫命が登場する。『三輪叢書』(1928年)には、別名が「加夜奈流美姫」と書かれている。
「加夜」つながりで、、阿陀加夜努志多伎吉比売命が高照姫命の可能性もある。

 

高照姫命の母も多岐都姫命で、やはり「たき」の神名がつくのだ。

 

先代旧事本紀による系図

 

 

< 戻る    > 次へ

 

応援のクリックをいただきますようお願いいたします。


にほんブログ村 歴史ブログへ
にほんブログ村

古代史ランキング

 

 このエントリーをはてなブックマークに追加