塞の神の原像(1) クナト大神

布志名才の神遺跡 島根県松江市玉湯町布志名
寛永通宝(1636〜)から平成4年発行の1円まで合計139枚が奉納されている江戸時代から現代までつながる信仰の遺跡である。石積を特徴とする遺跡であり、底の所に小さな穴をあけたかわらけや陶製の馬の人形などが出土した。

 

 

塞の神とは?

 

「塞の神」として、表記するとすなわち、塞ぐ神であろう。悪霊などが入って来ない境界神であるというのが、一つの神の性格を表わしていると思う。例えば、『播磨風土記』(奈良時代 初期)の佐比岡(さひおか)の記事である。

佐比岡。佐比と名づけた理由は、出雲の大神が神尾山にいた。この神は出雲の国人がここを通り過ぎると、十人のうち五人を留め、五人のうち三人を留めて行き来の妨害をした。それで出雲の国人たちが佐比を作ってこの岡に祭ったが、それでも和やかに受け入れられることはなかった。そうなった理由は、男神が先に来られて、女神が後に来られたからである。この男神は鎮まることができなくて去って行かれた。そういうわけで、女神は怨み怒っておられるのだ。それからしばらく後に、河内の国茨田の郡枚方里の漢人がやってきてこの山のあたりに住んで、敬い祭った。それで辛うじて和やかに鎮めることができた。この神が鎮座しているのにちなんで、名付けて神尾山(かむおやま)といった。また、佐比を作って祭った所を、佐比岡と名づけた。(中村啓信監修・訳注 『風土記 上』 角川ソフィア文庫)

 

古墳時代(5世紀)の鋤 西川津遺跡 出雲古代歴史博物館

 

 

「佐比」は刀剣あるいは農具の?(鋤)のことで、塞の神と掛け言葉で「さひ」なのかもしれないが、鋤の形状から、男根型に近いものだったのかもしれない。またあるいは、刀剣のようなものであったのかもしれない。どちらにせよ、大地に突き刺すものには間違いない。
ここに出て来る出雲の大神、男神および女神双方であるようだ。また荒魂であり、人々の往来を邪魔する神として登場する。悪霊だけをさえぎる神としては描かれていない。関所のような場所とも思えるが、峠のような場所であれば、危険な場所であって、往来の安全を祈る─そういう峠の神、道の神という方が近いのではなかろうか。

 

塞の神は、「さえのかみ」あるいは 「さいのかみ」、賽神・幸神・障神・妻神・才神・性神などと書かれたり、岐(くなど)の岐の神、久那土神、神・道祖神、道陸神(どうろくじん)とも同じものと言われている。

 

『岩波古語辞典』で「塞ノ神」を調べて見る。

 

さへのかみ【塞ノ神・道祖神】《「障(さ)への神」の意で、外から侵入して来る邪霊を防ぎ止める神》峠・坂・辻・村境など、境界に祭られた神。行路の安全をつかさどり、中国の「道祖」と結びつけて信仰された。「さいのかみ」「みちのかみ」とも。「道祖、和名佐倍乃加美(さへのかみ)」(和名抄)  『岩波古語辞典』(大野晋・佐竹昭広・前田金五郎 編)

 

平安時代中期に書かれた『和名類聚抄』(わみょうるいじゅしょう)の事が書かれているが、『和名類聚抄』には、

 

道祖  風俗通云、共工氏之子好遠遊、故其死後以為祖和名佐倍乃
岐神  日本紀云、岐神和名布奈止乃加美
道神  唐韻云、楊音膓和名太無介乃加美 道上祭一云、道神也

 

と、書かれている。この「道祖」の記述だが、
『風俗通義』に云う。共工の子が遠いところで遊んで行って死んだので、神となった。和名 佐倍乃加美  
ということで、「さえのかみ」が、中国の「道祖」といっしょくたにされている。本来は中国の道祖と違うが、平安時代中期には既に道の神として、中国の道祖神と習合していると思われる。

 

古語字典には、悪霊封じの境界神、道の神としか書かれていないが、塞の神の性格を調べていくと多岐にわたる。近世の双体道祖神のある地域では、共同体の神、縁結びの神、性の神、子どもの神、子授かりの神、旅の神、耳の神など多様である。

 

性の神といったことから、縁結び、子授かり、子どもの神というのは発展的に想像がつく。また、道の途上で、男女が相交わるので、道の神から縁結びへと発展したとも考えられるが、縄文信仰では性器信仰であったので、その逆で性の神から道の神につながったとも考えれるのだろう。猿田彦命がアメノウズメの命が出合った話が象徴的である。

 

富家伝承 サイノカミ三神

 

江戸時代末まで出雲大社の上官家であった富家の伝承によれば、出雲族は、インドのクナ地方を治めていたクナト王に由来するクナト大神(久奈戸大神)を主神として祭ったのだと云う。妻神を、幸姫(さいひめ)の命と云い、息子神を猿田彦命と云い、三神を合せてサイノカミだそうだ。

 

民族の先祖霊を守護神と定め、サイノカミと呼んだ。山陰地方ではサイノカミを「幸神」と書いている。民族神は、家族神として構成された。クナト王の名前を使い、父神をクナト(久那斗)大神とした。母神を幸姫ノミコトと言い、その夫婦像が造られ拝まれた。息子神にはインドの象神(ガネーシャ)が当てはめられ、サルタ彦と呼ばれた。「サルタ」とはドラビダ語で長鼻を意味するので、サルタ彦は「鼻高神」とも呼ばれる。若くて元気なサルタ彦は盗賊や亡霊の侵入を防ぐ役を与えられ、村境の峠道や境川の橋を守ったので、道の守り神として「道の神」とも呼ばれた。=i斎木雲州著『出雲と大和のあけぼの』−丹後風土記の世界- 大元出版)

 

このクナト大神であるが、『日本書紀』ではイザナギの命が黄泉国で投げつけた杖の神、岐(ふなど)とも言われる。(『古事記』では「衝き立つ船戸の神」)

 

黄泉比良坂の塞の神

 

また、『令集解』の「道饗祭」の項に、「久那戸」(くなど)とあり、「八衝比古」(やちまたひこ)「八衝比売」(やちまたひめ)と共に祭られる三神のうちの神である。
高群逸枝氏の説によれば、縄文時代中期以降の婚姻形態として、「クナド方式」という婚姻方式が出現したと云う。

 

“これらを考えると、クナドの神なるものは、数ヶ村共有のヒロバや、入会山や、交通の要路(いわゆるヤチマタや物々交換の市場)や、村の入り口に祭ってある石神であるが、その性格は一面が交通の神、他面が性の神という複雑さをもっている。 交通の神が性の神でもあるというのは、族外婚段階のヒロバのクナドを考えればわかろう。クナドは文字通り神前共婚の場所であるが、またそのことによって他群と交通し、結びつくことになる場所でもある。原始時代では、性交は同族化を意味する。排他的な異族の間では性の交歓だけが(ときには性器の見せ合いだけでも)和平への道であり、理解への道であり、村つくり、国つくりの道でもあった。大国主命の国つくり神話が、同時に妻問い神話になっているのも、この理由にほかならない。” (高群逸枝著『日本婚姻史』 至文堂)