磐座
神社の古い形態は、磐座(いわくら)であったと言われている。
いつも神様は、神社の御本殿にある御神体にやどっておられるものだと考えがちであるが、神は一つの物や場所に固着せずに漂い移動し、招きに応じて樹木や巨石、枝などに依りつくものだと古代から思われてきた。
山自体がご神体ということがある。
その山の巨岩に神が降臨して依りつくゆえに、その依代となった岩が神の座であり、磐座(いわくら)と呼ばれている。
柳田国男氏の言葉を借りると、「本来はすべて神のおりたまふべき処がクラであった」(『日本の祭』)ということである。
それゆえ、カミクラ山、タカクラ山、オオクラ山というクラの名前のついた山の名称が多い。
宮座山
鳥取県から岡山県を越えた所に新庄村という村に宮座山(みやぐらやま)という山がある。
奈良時代は、ここは美作国(みまさかのくに)真島郡(ましまぐん)の地域であった。
美作国大庭郡には、神部直(みわべあたい)が居たことが、『粟鹿大明神元記』に書かれていたので、もしや、奈良の大神神社の系統の神社が美作国にないだろうかと探していたところ、宮座山を地図で見つけた。
国道181号線から、そう遠くない距離だった。
宮座山へ登っていく道
せっかく草が刈ってあったので、左手の道を車で登り、広場のような場所に車を停めさせてもらった。
道路脇の説明板で概略をつかむことができる。
山麓に「帆立岩」、中腹に「辺津磐座」「中津磐座」「奥津磐座」があり、頂上付近に玄武岩の柱状節理がある。
麓付近の道
登山の出で立ちで登ったけれど、虫よけスプレーも必要だった。
アブのような虫が、たくさん飛んでいた。
帆立岩
巨石に圧倒される。
どの磐座にも、柏手を打って拝んだ。
辺津磐座・中津磐座・奥津磐座
かなり登るものだと思っていたが、意外にも速く、中腹には20分ぐらいで到着した。辺津磐座とあるが、一つの岩でなくて巨石群のようだ。
辺津磐座(へついわくら)
約20メートル行ったところに中津磐座。
中津磐座(なかついわくら)
約20メートル行ったところに奥津磐座。
奥津磐座(おきついわくら)
それから、山の頂上まで登ったが、祭祀遺跡のようなものはなかった。
頂上付近
たいへん素晴らしい古代の宗教遺跡を見させてもらった。
宮座山から分かれた二つの神社
宮座山の参拝を終えて、新庄村の御鴨神社と真庭市の美甘神社を参拝した。
どちらの神社も「みかも」と読み、どちらの神社も、宮座山の祭祀場からの遷座したものだ。
祭神は、どちらも味鋤高彦根命である。
御鴨神社 岡山県真庭郡新庄村5388
由緒の一部抜粋
当社は、美作郷の総鎮守の大神であって往古は、美作国真嶋郡美甘郷美甘川の川上、新庄宮座山の山上に鎮座し、神代からの大宮所である。
称光天皇の応永26年の頃、宮座山の麓の神集の上の宮に移し奉り、さらに、霊光天皇の延宝7年裏手の路の上の宮に移し奉り、更に、中御門天皇の宝永7年今の虫の身のだんに移し奉った。
美甘神社 岡山県真庭市美甘3902
由緒の一部抜粋
当社は太古から宮座山(現新庄村)に美甘郷の総鎮守神として味鋤高彦根命を祭る大宮所があった。
御祭神の別名を御鴨神と申し上げたことから御鴨神社と呼ばれた。郷名も孝徳天皇大化2年御鴨と定められ、元明天皇和銅6年の詔により美甘郷となる。
その後火災に遭い、美甘と新庄の2ヶ所に分けて祀られることになり、三条天皇の長和5年本庄宮原の宮峪に遷座する。
いつの時代に御鴨神社と美甘神社の二つのミカモ神社に分かれたか定かではないが、長和5年が1016年であるのでかなりの古い時代であったと思われる。
まとめ
美作国の宮座山は、神社以前の磐座信仰の古代の祭祀場であった。
出雲神の味鋤高彦根命が祭神なのは、元から変わってないのかもしれないが、「みかも」言うからには、大和の賀茂族が創始だったのかもしれない。