鬼神神社のある鳥上の里からの写真です。

 

左手の円錐形の山は、「家内住山」(標高1080m)といい、テナヅチ・アシナヅチ・稲田姫が住んでいたところとされています。

 

右手の水平な山が船通山で、標高1142mあります。

 

 

鳥上山(現在の船通山)

 

船通山は奈良時代には「鳥上山」と呼ばれていました。

 

スサノオのヤマタのオロチ退治は、『古事記』(712年)『日本書紀』(720年)に書かれていますが、鳥上山は書かれているんでしょうか?

 

『古事記』  "出雲の国の肥の河のほとり、名は鳥髪というところ" 『口語訳 古事記』 三浦佑之 訳・注釈 文春文庫 

 

「鳥髪」とはありますが、山の名前は書いてありません。

 

では、『日本書紀』 ではどうでしょう。一書(あるふみ)の第四のみに書いてありました。

 

一書第四 素戔嗚尊の行ないがひどかった。そこで神々が、千座の置戸の罪を科せられて追放された。この時素戔嗚尊は、その子五十猛神をひきいて、新羅の国に降られて、曽尸茂梨(ソホル即ち都の意か)のところにおいでになった。

 

そこで不服の言葉をいわれて、「この地には私は居たくないのだ」と。ついに土で船を造り、それに乗って東の方に渡り、出雲の国の簸の川の上流にある、鳥上の山についた。 (宇治谷 猛 訳『日本書紀(上)』  講談社文庫)

 

この文脈からみると、子どもの五十猛神(いそたけるのかみ)といっしょに天降ってきたようです。しかし、その後の八岐大蛇退治には五十猛神は登場してきません。

 

 

登山のコース

 

さて、登ってみましょう。

 

登山コースは、島根県側(奥出雲町)に2コース、鳥取県側に2コースの計4コースあります。

 

私は、今回島根県側のコースを歩きました。

 

鳥上滝コースから登り、亀石コースから降りました。

 

2コース両方歩く場合は、登山口まで車で行きません。「わくわくプール」の前の駐車場に車を停めました。

 

わくわくプール

 

 

この辺りは美肌の温泉が出る場所だそうです。

 

斐乃上温泉周辺を「岩伏」といって、ヤマタのオロチが岩に伏したところなので、そう呼ばれるようになったそうです。

 

ちょっと歩くと、登山口まで行く二つのコースの道標がありました。

 

 

私の足で、ここから鳥上滝コース登山口まで30分、亀石コース登山口まで40分かかりました。

 

早歩きだと10分ぐらいは短縮できるかもしれませんが、登山口に着くまで疲れてはいけません。

 

なお、両登山口には、駐車場があります。(鳥上滝登山口は、約20~25台、亀石登山口約10台~15台停めれるように見えました。詰めて停めたらもっと入るかもしれません。)

 

コースとしての特徴

 

鳥上滝コース  石畳のような急な道が続き、亀石コースより脚力が必要。鳥上の滝が見れる。

 

亀石コース   鳥上滝コースよりは、なだらかな登山道が多い。ブナ林が見れる。

 

鳥上滝コースを歩く

 

 

斐伊川の源流の小川の近くを石畳のような登山道が続いています。

 

山頂まで、整備されていて迷うことはありませんでした。

 

鳥上滝

 

 

水が少なくて、滝に見えづらいかもしれません。この滝を登っていくと、稲田姫が住んでいたとされる家内住山に行き着く場所だと思います。

 

この滝は約15mの高さがあり、今は滝つぼが無くなっていますが、昔は大きな滝つぼでヤマタのオロチが住んでいたと云われています。

 

家内住山と船通山との間の峠を「船越」といって、スサノオのミコトと五十猛命がこの峠を船で越したところだそうです。

 

そこの場所はわかりませんでした。

 

登山口から、約1時間 山頂付近に到着しました。

 

4月下旬から5月下旬は自生しているカタクリの花の開花時期で見頃です。

 

登山道の脇にも紫の花が咲いています。

 

 

天叢雲剣

 

頂上にはヤマタのオロチの尾から出てきた三種の神器のひとつ「天叢雲剣」(あめのむらくものつるぎ)の記念碑が建てられています。

 

鳥上宮の祠と鳥居もあります。

 

「天叢雲剣出顕之地」(あめのむらくものつるぎ しゅっけんのち記念碑

 

 

これは、昭和48年(1973年)に雷が落ち、壊れてしまったため2代目で、昭和51年(1976年)に再建されたものだということです。

 

初代は、大正12年(1923年)に建てられましたが、重量のある石碑で運び上げるのが困難で引き受ける者がいなかったようですが、広原金三郎さんほか、竹崎(集落名)の猛者25名によって、運ばれたそうです。

 

天叢雲剣は後に草なぎの剣とも呼ばれ、愛知県の熱田神宮に祀られていますが、古代豪族尾張氏に天村雲命(あめのむらくものみこと)という祖先神もおり、たいへん意味深な名前です。

 

一般的に、刀剣ーたたら製鉄のたとえと考えられることが多いですが、様々な仕掛けがこの神話にあるのかもしれません。

 

亀石コース

 

なぜ亀石というかですが、亀石登山道の下の谷を「亀(甕)石谷」というようで、ヤマタのオロチを退治するときの毒酒を醸した石甕があったところで、そう呼ばれるようになったとのことです。

 

 

道はなだらかで歩きやすいですが、この谷の深さを見ると足がすくんでしまいがちになりました。

 

ヤマタのオロチの神話伝説を感じながら、歩くとまた別の趣があります。

 

一時間歩くと、亀石登山口に着きました。

 

降りるには、足が速かったので、登る場合は、もっと時間がかかると思います。

 

 

船通山を登り終わって

 

・船通山のすぐ南側を見ますと、初期の四隅突出型墳丘墓が分布する庄原や三次が意外にも近いということを感じました。

 

・船通山の西側(鳥取県側)にも、たたら遺跡も多く、たたら製鉄に関係したとされる、樂樂福神社(孝霊天皇の鬼退治伝承)の分布地域が近いということがわかりました。

 

 

参考文献 『奥出雲町の神話と口碑伝承』 奥出雲町文化協会編  奥出雲町地域活性化実行委員会

 

 このエントリーをはてなブックマークに追加 

Copyright © 2024 古代出雲への道All Rights Reserved.