菟名手(うなて)

 

出雲市の、昔朝山郷であったところに、豊国(現在の福岡県東部および大分県全域)の国造の祖と同じ「宇那手(うなて)」の地名がある。

 

そこに櫛八玉命を祀る火守神社(ほもりじんじゃ)がある。(→ ウィキペディア 火守神社 )

 

なぜに豊国と縁があるのか、いつからの地名なのか?

 

火守(ほもり)神社 島根県出雲市宇那手町1315   

 

出雲風土記(733年)には火守社とある。祭神 櫛八玉命。

 

 

 

『出雲市地名考(下)』(永田滋史 著 出雲市教育委員会)によれば、文献の初出は、戦国期の慶長4年「市川元榮所領注文」に「同國同郡(出雲國神門郡)宇那手村百十九石八斗五升七合…」と見えるようで、いつの時代からの地名なのか定かではない。

 

まずは、その「うなて」の記載のある『豊後国風土記』の抜粋である。

 

『豊後国風土記』

 

 豊 後 国(とよのみちのしりのくに)は、本(もと)、豊 前 国(とよのみちのくちのくに)と合あはせて一(ひと)つの国(くに)なり。

 

昔者(むかし)、纏向日代宮(まきむくのひしろのみや)に御宇大足彦(あめのしたしらしめししおほたらしひこの)天皇(すめらのみこと)、豊国直等(とよのくにのあたひら)が(祖おや)、菟名手(うなて ) に詔(みことのり)して、豊国(とよのくに)を治(をさ)めしめたまふ。(中村啓信監修訳注 『風土記 下』角川ソフィア文庫)

 

 

関東の国造

 

『日本書紀』を見ると、景行天皇の西征(九州征伐など)に随行して人物で、それで豊国の国造になったと思われる。『先代旧事本紀』巻第十 国造本紀ではどう書かれているか。

 

豊とよの国造くにのみやつこ

 

成務(せいむ)天皇(てんのう)の時代に、伊甚国造(いじみくにのみやつこ)と同祖・宇那(うなの)足尼(すくね)を国造に定められた。

 

 

「菟名手」(うなて)ではなく「宇那足尼」(うなのすくね)となっている。同一人物なのか、その子孫なのか定かではないが、伊甚(いじみ)国造と同祖となっている。この伊甚(いじみ)は、上総国埴生郡ー千葉県の一部分である。

 

では、その伊甚国造は、どう書かれているか。

 

伊甚国造(いじみのくにのみやつこ)

 

成務天皇(せいむてんのう)の時代に、安房国造(あわのくにのみやっこ)祖伊許保止命(いこほとのみこと)の孫の伊己侶止直(いころとあたい)を伊甚(いじみ)の国造(くにのみやつこ)に定められた。

 

今度は安房国(あわこく)である。この安房国は、四国の阿波ではなく、千葉県の南部である。(⇒ ウィキペディア 安房国 )

 

では、今度は安房国にはどう書かれているか。

 

阿波国造(あわくにのみやつこ)

 

成務天皇の時代に、天穂日命の八世孫・弥都侶岐命(みつろぎのみこと)の孫の大伴直大瀧(おおともあたいのおおたき)を国造に定められた。

 

なぜ、「阿波国」の漢字に変わっているかよくわからないが…。やっと、天穂日命の系譜であることがわかった。

 

天穂日命となっているが、「東国諸国造 伊勢津彦之裔」という系図では、(→ 国立国会図書館デジタルコレクション『諸系譜』27ページ )

 

天穂日命の上が、意美豆努命(八束水臣津命)になっているくらいだから、天穂日命というよりは、広く「出雲族」として考えたほうが良いと思われる。神話ではないので、上が天照大神とはなっていない。

 

伊甚神社  島根県松江市宍道町伊志見188 『出雲国風土記』(733年)では「伊自美社」

 

なぜだか 千葉県の伊甚(いじみ)国と同じ地名が、島根県東部(風土記時代は出雲郡)にもある。

 

 

 

なぜに出雲族の国造が、関東に分布しているか。

 

神話や伝承ぬきに考えると、東北→関東→大和→播磨→出雲という風に南下してきたとも想像もできるが、富家伝承本にはそのいきさつも書いてあった。

 

時は、景行天皇の頃である。

 

 

〝東国遠征を計った大王は、イズモ国に兵力の派遣を求めてきた。旧出雲王家は、豊国勢力を追い払うという隠された目的のために、派兵することになった。

 

それには、訳があった。ヤマトに出雲系の磯城王朝があったとき、そこを豊国軍が真っ先に攻撃した。しかも出雲系の加茂氏を山城国に追い払った。それに向家が反感を持っていたからであった。〟(斎木雲州著『出雲と蘇我王国』 大元出版)

 

 

〝イズモ軍は豊国出身者を攻撃して、東国に追いながら進軍した。豊国兵を上毛野国と下毛野国に追い払った後、出雲軍は関東南部に落ち着いた。

 

上毛野国と下毛野国に住んだ豊来入彦の兵士の一部は、故郷にかえった。豊前国では、その里帰りたちが住んだ地域に、上毛郡や下毛郡の名が付いている。〟(斎木雲州著『出雲と蘇我王国』 大元出版)

 

出雲族VS物部族・豊国族(宇佐族)の時代から、物部族・出雲族VS豊国族(宇佐族)の時代への転換である。

 

時代にによって敵であったり、味方であったりということもだが、敵であるが故に戦乱を避ける故に敵であっても、同族化ということもあったと思われる。

 

出雲族の系譜の中に、「兎臣」が祖の勝部臣が見られる。あの兎臣の兎(うさぎ)も豊国族と関係があるのではないだろうか?

 

そうして考えると、もしやあの神話「イナバの白兎」というのは、関東での豊国族(宇佐族)と出雲族との戦争と和平ということを描いていたのではなかろうか?

 

初期の国造は、因幡が、和邇族だが、その隣の伯耆は、関東からの出雲族である。

 

さて、肝心の「宇那足尼」あるいは、「菟名手」が、「東国諸国造 伊勢津彦之裔」という系図に見えない。

 

『古代氏族系譜集成 中巻』(宝賀寿男 編著 古代氏族研究会発行)によると、武蔵国造祖の「兄多毛比命」(えたもひのみこと)の孫の「宇志足尼」が又の名と書かれていた。

 

実際氷川神社の社家系図に、

 

兄多毛比命ー武曽宿禰ー字那毘足尼ー筑磨(物部直祖)、弟八背直(大伴部直祖)…、と見られる。出雲族を祖としながら、後継の物部氏が社家となっているという不思議さがある。

 

 

高群逸枝氏の見立てであるが、

 

〝出雲系は初め信濃を経て笠原氏となり武蔵へ入って来たこと、当時武蔵には多摩地方の所謂无邪志族、足立地方及び入間地方を結ぶ所謂胸刺族があり、笠原氏から発した出雲系は、まず多摩の无邪志族に伝わって其族を祖変せしめると共に、時恰国造制定時代であったため、武蔵国造家を多摩に起こした。

 

次に多摩より発した系は更に隣国上総下総の地方(恐らく古来よりの同族ならん)を芋蔓式に祖変せしめて出雲系となし、その一環たる海上氏を経た系が、武蔵の足立に居する物部一派に来投して、これを祖変せしめた〟(高群逸枝 著 『母系制の研究』(上))

 

出雲族、物部族相交わるという感じであるが、豊国族(宇佐族)との影も感じる。膳氏の後裔である『高橋氏文』(逸文)によると、斎火を鑚っている大伴造は、物部豊日連の後裔であるという。ここにも「豊」の名前である。

 

 

膳(かしわで)の起源 安房の国

 

出雲族の国造が創始の安房国であるが、ここの安房国は膳氏の起源の場所でもあった。

 

以下日本書紀の抜粋。

 

〝冬十月上総(かずさ)国に行き、海路安房(あわ)の水門(みなと)においでになった。このとき、覚賀鳥(かくかのとり)(カクカクと鳴き容易に姿を見せない)の声が聞こえた。

 

その鳥の形を見たいと思われ、海の中までおいでになり、そこで大きな蛤(はまぐり)を得られた。膳臣(かしわでのおみ)の先祖で、名は磐鹿六雁(いわかむつかり)が蒲(がま)の葉をとって襷(たすき)にかけ、蛤を膾(なます)に造ってたてまつった。

 

それで六雁臣の功を誉めて、膳(かしわで)の大伴部(おおともべ)の役を賜わった。〟 (宇治谷 孟著『全現代語訳 日本書紀』 講談社文庫)

 

 

これに附随して、膳氏の後継であるの高橋氏の『高橋氏文』である。

 

〝『政事要略』所引『高橋氏文』逸文によると、六鴈命(六獦命/六雁命)が景行天皇72年8月に病で死去すると、天皇は大変悲しんで親王の式に准えて葬を賜り、宣命使として藤河別命・武男心命を派遣した。

 

そして、六鴈命を宮中の食膳を司る膳職に祀るとともに、子孫を膳職の長官および上総国・淡路国(ここでは安房国)の長と定め、和加佐国(若狭国)は永く子孫らが領する国として授けたという。〟( ウィキペディア 磐鹿六雁 より)

 

あれ、安房の国造は、膳氏ではなく大伴氏であったはず。頭が混乱してくる。

 

〝初代代国造の大瀧が名乗っていたのは大伴氏(姓は直)である。

 

この氏は出雲国造などと同系で、天皇の食膳調達(特にアワビの貢納)にあたる部民氏族の膳大伴部(かしわでのおおともべ、大伴部)を在地で統率する氏族であり、膳大伴氏(姓は直)ともいう。

 

弘仁14年(823年)に大伴氏は伴氏(姓は直)と改めた。〟( ウィキペディ 阿波国造 より)

 

 

膳大伴部を現地で統率していたのは、膳氏ではなくて、大伴氏。ますます頭が混乱してくるが、おそらく阿部氏や出雲族や物部族がからみあって、一つの氏族の話としては捉えらないことになっているのだろう。

 

創始としては、膳の神(櫛八玉命)は出雲族(伊勢津彦)だと思うが、膳伴部自体は出雲族(大伴氏も含む)・阿部氏・物部族の結合なのかもしれない。

 

 

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