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私たちは立ち入ることができない出雲大社の玉垣内には、東西に門客人社がひとつずつ鎮座しています。現在は、「門神社(みかどのかみのやしろ)」と呼ばれています。中世には、門客人社と書物に記されていました。玉垣内を守る役割の神ですが、その祭神について調べてみました。出雲大社の門客人社はいつから創建?いつの時...

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インターネットや書籍において、アラハバキ神は、出雲系の地主神や出雲と東北をつなぐ原初的な蝦夷の神だとかの説が見られますが、本当にそうなのでしょうか。いろいろと考察してみました。アラハバキ神の出雲国の分布古代史研究家の斎藤隆一氏が作成したアラハバキ神社所在地一覧表(『季刊 邪馬台国 54号』「荒覇吐神...

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佐太神社のアラハバキ門現在の佐太神社の随身門  島根県松江市鹿島町佐陀宮内73江戸時代初期の橘三喜(たちばな みつよし)『一宮巡詣記 』(いちのみやじゅんけいき)には、佐太神社にアラハバキ門が図示されていました。⇒ 『一宮巡参詣記』図の場所から考えると、現代の随身門だと思います。随身門といえば、神社...

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石見国の国府(現在で言うところの県の役所)は、那賀郡の伊甘郷にが存在しましたが、場所が確定しておらす、浜田市国分町あるいは下府町(シモコウチョウ)であるという説が濃厚です。しかし、延喜式に記載されている邇摩郡の神社に「国分寺」の名前がある「国分寺霹靂(びゃくらく)神社」の存在から、邇摩郡から那賀郡に...

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記紀神話の国譲り神話には、高天原から出雲族攻略のために派遣された2番目の神 天若日子(アメノワカヒコ)が登場します。(天稚彦とも記載されます。)一番目に派遣された天穂日命(アメノホヒ)については、実際後裔の氏族が『新撰姓氏録』に登場するのに、天若日子については、後裔の氏族も全くありません。天若日子は...

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(2024.1.24公開)なぜなのか、石見国(島根県の西部)の中心部から西にかけて、沿岸部には、和珥氏系の神社がたくさん分布しています。祭神というものは、時代の変化に伴い、変わっていくものですが、古い神社名に、氏族名が記述されているので、和珥氏系(和珥族)であろうと推定されると思われます。石見国の和...

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例えば、石見国(島根県の西部)西部の海岸地方には、古代豪族和珥(わに)氏の神社がたくさん分布しています。和珥氏系の神社は、和珥氏の祖先だけでなく、宗像族の神を祀っていることもあります。なぜなのでしょうか?和珥氏とはどのような豪族なのか?宗像族の関係はどうなのでしょうか?和珥氏は、どんな氏族かまずは和...

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美保神社の社殿は、「比翼大社造」と呼ばれる本殿が二つ仲良く並んだ美しい姿です。公式的には、事代主命と義理の母である三穂津姫命を祭っていると言われます。しかし、元々そうだったのでしょうか。美保神社の祭神の歴史を探ってみます。美保神社の現在の祭神美保神社 島根県松江市美保関町美保関608事代主命系 えび...

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龍厳山(りゅうがんざん) 島根県大田市仁摩町大国島根県の西部は、律令体制後は『石見国」(いわみのくに)と呼ばれていました。現代のなまり言葉も、島根県東部(出雲)が、いわゆるズーズー弁ですが、島根県西部は石見弁であり、その文化も出雲地方とはかなり違います。しかしながら、伝承には石見独自の神様だけではな...

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島根県飯石郡飯南町の来島地区の地名「来島」は、大国主命6世孫とされる伎自麻都美命(きじまつみのみこと)に由来する地名です。大国主命6世孫ということですが、それはなんの本に書かれているのでしょうか?『出雲国風土記』の来島郷伎自麻都美命を祀る來嶋神社ここの地名由来は、『出雲国風土記』(733年)に書かれ...

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自然石を神霊が宿ると考えて祭祀対象とする巨岩を磐座(いわくら)と言います。また同じような言葉で、磐境(いわさか)という言葉があります。磐座と全く同じ意味であるという説もありますが、磐境は、人の手が加わったもので磐座とは違うという説もあります。ここでは磐境(いわさか)を考察していきます。磐境とは『岩波...

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奥出雲町のホームページを見ていたら、興味深い造形の神社が載っていました。いわゆる木造の建築物の神社でもなく、何か石の板が組み合わさった石が御神体のようです。鯛の巣山に登った後、その川子神社を参拝しに行きました。また、山を登った中腹にあるのかと思ったら、自動車ですぐ行ける場所で川子原公会堂という建物の...

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島根県松江市に内(うち)神社があります。『出雲国風土記』(733年)にも「宇智社」(うちのやしろ)として載っている古社です。奈良県にも同名の神社、宇智神社(奈良県五條市今井町4丁目)があります。この神社もまた式内社であり古社です。奈良の宇智神社は、元々は、「内臣」(うちおみ)の氏神を祭る神社だったの...

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秋鹿日女命の別名秋鹿神社拝殿  島根県松江市秋鹿町2853秋鹿(あいか)の由来〝秋鹿と名づけるわけは、郡家の正北に秋鹿日女命(あきかひめ)が鎮座していらっしゃるからである。〟(島根県古代文化センター編 『解説 出雲国風土記』 今井出版)「和名抄」に安伊加(あいか)とあり、奈良時代は「あきか」であった...

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『尾張国風土記』に登場する多具國『古事記』に載っているホムチワケ伝承では、出雲国の出雲大神(葦原色男大神いわゆる大国主命)を拝むことで、垂仁天皇のホムチワケ皇子がしゃべれるようになった話になっている。しかし、『尾張国風土記』(逸文)のホムチワケ伝承では、また別の国と神がが登場する。(ちなみに『日本書...

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出雲国楯縫郡のかんなび山『出雲国風土記』(733年)の楯縫郡の山野のところで、アジスキタカヒコネノミコトの息子のことが書かれている。神名樋(かんなび)山。郡家(ぐうけ)の東北六里(り)一百六十歩(ほ)の所にある。高さは一百二十丈(じょう)五尺(しゃく)、周りは二十一里一百八十歩ある。嵬(みね)の西に...

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加茂神社 島根県雲南市加茂町加茂中996加茂岩倉遺跡(島根県雲南市加茂町)のある加茂町の神社の話である。全国に「加茂町」という町名はあり、珍しいものではない。なぜ加茂町と名前がつくのかと言えば、そういう町には、ほぼ100パーセントの確立で、「加茂神社」「賀茂神社」あるいは「鴨神社」が鎮座している。雲...

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『出雲国風土記』(733年)の地名起原に古代豪族 物部氏の祖神が登場する。その祖神は、饒速日命ではなく、経津主神(ふつぬしのかみ)である。(布都努志命とも言う。)国譲り神話の稲佐の浜に登場する神の一柱だ。その神は、東部の意宇郡(おうぐん)の二つの郷に登場する。楯縫郷〝楯縫(たてぬい)郷郡家の東北三十...

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磐座神社の古い形態は、磐座(いわくら)であったと言われている。いつも神様は、神社の御本殿にある御神体にやどっておられるものだと考えがちであるが、神は一つの物や場所に固着せずに漂い移動し、招きに応じて樹木や巨石、枝などに依りつくものだと古代から思われてきた。山自体がご神体ということがある。その山の巨岩...

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