※ヘッダー画像は、出雲市の高西公園の像です。奈良時代は、高岸郷だったので、おそらく阿遅須枳高日子命の像と思われます。『出雲国風土記』(733年)の時代には、出雲大社(当時は杵築大社と呼ばれていた。)の前方は、広大な田畑でもなく、神門水海(かんどのみずうみ)という湖が広がっていました。現在の出雲市の市...
島根県飯石郡飯南町の来島地区の地名「来島」は、大国主命6世孫とされる伎自麻都美命(きじまつみのみこと)に由来する地名です。大国主命6世孫ということですが、それはなんの本に書かれているのでしょうか?『出雲国風土記』の来島郷伎自麻都美命を祀る來嶋神社ここの地名由来は、『出雲国風土記』(733年)に書かれ...
自然石を神霊が宿ると考えて祭祀対象とする巨岩を磐座(いわくら)と言います。また同じような言葉で、磐境(いわさか)という言葉があります。磐座と全く同じ意味であるという説もありますが、磐境は、人の手が加わったもので磐座とは違うという説もあります。ここでは磐境(いわさか)を考察していきます。磐境とは『岩波...
美保神社の社殿は、「比翼大社造」と呼ばれる本殿が二つ仲良く並んだ美しい姿です。公式的には、事代主命と義理の母である三穂津姫命を祭っていると言われます。しかし、元々そうだったのでしょうか。美保神社の祭神の歴史を探ってみます。美保神社の現在の祭神美保神社 島根県松江市美保関町美保関608事代主命系 えび...
奥出雲町のホームページを見ていたら、興味深い造形の神社が載っていました。いわゆる木造の建築物の神社でもなく、何か石の板が組み合わさった石が御神体のようです。鯛の巣山に登った後、その川子神社を参拝しに行きました。また、山を登った中腹にあるのかと思ったら、自動車ですぐ行ける場所で川子原公会堂という建物の...
仁多郡の三澤郷阿遅須伎高日子命(あじすきたかひこのみこと)の伝承地である仁多郡三澤郷、現在の仁多郡奥出雲町に訪ねました。まずは、その伝承が書かれた『出雲国風土記』(733年)の記事です。三澤郷(みざわごう)。郡家の西南二十五里の所にある。大神大穴持命の御子、阿遅須伎高日子命(あじすきたかひこのみこと...
島根県松江市に内(うち)神社があります。『出雲国風土記』(733年)にも「宇智社」(うちのやしろ)として載っている古社です。奈良県にも同名の神社、宇智神社(奈良県五條市今井町4丁目)があります。この神社もまた式内社であり古社です。奈良の宇智神社は、元々は、「内臣」(うちおみ)の氏神を祭る神社だったの...
秋鹿日女命の別名秋鹿神社拝殿 島根県松江市秋鹿町2853秋鹿(あいか)の由来〝秋鹿と名づけるわけは、郡家の正北に秋鹿日女命(あきかひめ)が鎮座していらっしゃるからである。〟(島根県古代文化センター編 『解説 出雲国風土記』 今井出版)「和名抄」に安伊加(あいか)とあり、奈良時代は「あきか」であった...
伊努神社 島根県出雲市美野町382 祭神 天甕津日女命天甕津日女命(あめのみかつひめのみこと)は、『出雲国風土記』においては、出雲の祖神ともいうべき八束水臣津野命の子である赤衾伊努意保須美比古佐倭気命(あかぶすまいぬおおすみひこさわけのみこと)の御妃で登場する。また『尾張国風土記』(逸文)においては...
『尾張国風土記』に登場する多具國『古事記』に載っているホムチワケ伝承では、出雲国の出雲大神(葦原色男大神いわゆる大国主命)を拝むことで、垂仁天皇のホムチワケ皇子がしゃべれるようになった話になっているが、『尾張国風土記』(逸文)のホムチワケ伝承では、また別の国と神がが登場する。(ちなみに『日本書紀』で...
出雲国楯縫郡のかんなび山『出雲国風土記』(733年)の楯縫郡の山野のところで、アジスキタカヒコネノミコトの息子のことが書かれている。神名樋(かんなび)山。郡家(ぐうけ)の東北六里(り)一百六十歩(ほ)の所にある。高さは一百二十丈(じょう)五尺(しゃく)、周りは二十一里一百八十歩ある。嵬(みね)の西に...
加茂神社 島根県雲南市加茂町加茂中996加茂岩倉遺跡(島根県雲南市加茂町)のある加茂町の神社の話である。全国に「加茂町」という町名はあり、珍しいものではない。なぜ加茂町と名前がつくのかと言えば、そういう町には、ほぼ100パーセントの確立で、「加茂神社」「賀茂神社」あるいは「鴨神社」が鎮座している。雲...
『出雲国風土記』(733年)の地名起原に古代豪族 物部氏の祖神が登場する。その祖神は、饒速日命ではなく、経津主神(ふつぬしのかみ)である。(布都努志命とも言う。)国譲り神話の稲佐の浜に登場する神の一柱だ。その神は、東部の意宇郡(おうぐん)の二つの郷に登場する。楯縫郷〝楯縫(たてぬい)郷郡家の東北三十...
年神(歳神)と聞くと、正月に各家々に来訪する福をもたらす神のように思われている。しかし、『古事記』(712年)に書かれている大年神(大歳神)の系譜や昭和時代までに残ってきた習俗を調べてみると、単純に1年の時間の単位神ということではなく、多様な意味をもった神だとわかる。年は、穀物のことまずは、大年神の...
磐座神社の古い形態は、磐座(いわくら)であったと言われている。いつも神様は、神社の御本殿にある御神体にやどっておられるものだと考えがちであるが、神は一つの物や場所に固着せずに漂い移動し、招きに応じて樹木や巨石、枝などに依りつくものだと古代から思われてきた。山自体がご神体ということがある。その山の巨岩...
今後取材日記のような記事も書いていく。上の写真は、伯耆の大国主命受難伝説で有名な手間要害山の対面にある、母塚山(はつかさん)である。たいへん形が整った山だ。276メートルある。何年かぶりの訪問になる。ここは車で、頂上付近の展望台まで登れる。舗装された道路ではあるが、車が1台通れるので対向車に気をつけ...