大国主命の受難伝説

鳥取県の西部にある手間要害山の麓の南側にある「倭」から、大国主命が「出雲国だけは守る。」と言った伝承地─安来市伯太町の青垣山が、すこぶる近いということがわかります。伯耆国と出雲国の道は、手間關のある官道しか『出雲国風土記』には記載がないけれども、実際にはいくつかの伯耆国とつながる道があり、その境界が...

大国主命の受難伝説

手間要害山の周りの地名や神社を見て回るとたいへん面白いことに気づきます。南には手間要害山を取り囲むように、賀茂神社が3つあります。それから、西南に「倭」の地名、倭姫命を祭神とする高野女神社に由来する「高姫」の地名、そして南西の下側に「鴨部」の地名があります。それから想像することは、大和の賀茂族です。...

大国主命の受難伝説

赤猪岩神社の伝承赤猪岩とは、八十神が赤い猪だと言って大国主命をだました、赤く焼けた岩です。江戸時代の末期の安政5年の『伯耆志』(1858年)には、赤猪岩(文章中では赤猪石なので以後「赤猪石」の語句を使う。)の様々な伝承が書かれています。赤猪石と思われる石は、一つではなくさまざまな場所にあったようです...

大国主命の受難伝説

『古事記』(712年)の稲羽のシロウサギとワニの話には続きがあります。『古事記』の大国主命と手間山因幡のシロウサギのを助けた大国主命は八上姫と結ばれます。しかし、それをねたんだ八十神(やそがみ)にねたまれ、出雲に帰る途中、あろうことか伯耆にある手間山の麓で、殺されます。八十神たちは、大きな赤い猪を坂...

大国主命の受難伝説

『古事記』には、大国主命の2度目の受難伝説が書かれていました。大国主命は、八十神(異母兄弟たち)に手間山で殺されるものの、カムムスヒの神に救われ、生き返りました。しかし、それを知った八十神は怒って、今度は大きな木を切り倒すと、木に縦に切れ目を入れて、くさびを打ち込みました。すると、木にできた隙間に大...

大国主命の受難伝説

『古事記』(716年)には、様々な大国主命の伝説が書かれています。その受難伝説といいますか、何度も八十神に何度も殺されては、神々の力によって、よみがえってきます。その伝承地を歩いてみました。さまざまな土地のウサギとワニの伝承伯耆の伝承因幡という鳥取県東部だけではなく、鳥取県の中ほどの鳥取県大山町束積...

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