阿陀加夜努志多伎吉比売命を祭る多伎神社 島根県出雲市多伎町多岐639番地

 

 

 

阿陀加夜努志多伎吉比売命(アダカヤヌシタキキヒメノミコト)という女神が、『出雲国風土記』(733年)に登場します。

 

古書や、神社の伝承に、阿陀加夜努志多伎吉比売命は、下照姫命だと書いてあるものがあります。

 

その根拠となる書物を探索してみました。

 

 

阿陀加夜努志多伎吉比売命が登場する神門郡多伎郷

 

そもそも、『出雲国風土記』のどこに登場するのでしょう。

 

阿陀加夜努志多伎吉比売命が登場するのは、神門郡の多伎郷の地名起源です。

 

所造天下大神の御子、阿陀加夜努志多伎吉比売命が鎮座していらっしゃった。

 

 だから、多吉(たき)という。〔神亀三年に字を多伎と改めた。〕( 『解説 出雲国風土記』 島根県古代文化センター[編 ]今井出版)

 

所造天下大神(あめのしたつくらししおおかみ)の子、つまり、大国主命の娘です。

 

記紀神話には、味鋤高彦根命の妹で、天若彦(天雅彦)の妻となる下照姫命は登場しますが、『出雲国風土記』には登場しません。

 

記紀神話に登場して、『出雲国風土記』に登場しないのは、下照姫命と木股神(因幡のしろうさぎに登場する八上姫命との間の御子です。)や、事代主命、建御名方神です。

 

国学者の推察 阿陀加夜努志多伎吉比売命

 

江戸時代の国学者がどのように阿陀加夜努志多伎吉比売命をどのように書いてあるか、平田篤胤(ひらたあつたね)の『古史伝』20巻を読んでみました。

 

しかし、内山真龍(うちやま またつ)の『出雲風土記解』(天明7年─1787年))を引用して、下照姫を亦の名とする説に「信に然る説」(誠にそうである)と賛同しています。

 

その内山真龍(うちやま またつ)の阿陀加夜努志多伎吉比売命説をここに載せます。

 

阿陀加夜努志多伎吉比売命の御名の意は、大高屋主湍姫なり。

 

阿と於と通。さて、宮造は高きをよしとす。景行紀に日向の高屋てふも有。

 

多伎は御母の多紀理を負。理と吉(き)と入替りて多伎吉(たきき)と云。

 

水はやきことを多紀と云て。多紀理、多紀都、多伎吉皆同意なり。

 

※湍・・・水の流れがはやいこと、たぎつと同義。湍姫の読みは、はやひめ?はやせひめ?

 

阿陀加夜努志多伎吉比売命の「阿陀加夜努志」は「大高屋主」という意味だそうです。

 

「阿」(あ)と「於」(お)は通じるということで、「陀加夜」は「高屋」で、姫が住んだお宮だということです。

 

下の名前の多伎吉は、下照姫命の母の宗像三女神の「多紀理」姫の名前を受け継いでいるそうです。

 

多紀理も多紀都(たきつ)も、多伎吉も意味は同じということ。

 

母も、叔母も、娘も、名前は同じということになります。

 

大高屋はどうかはわかりませんが、多伎(たき)というのが、宗像三女神を連想させるので、そういう説も出てくるのは不思議ではないです。

 

 

高群逸枝の推察 阿陀加夜努志多伎吉比売命

 

高群逸枝『母系制の研究』(1938年)からの抜粋です。

 

京都の「山代・山背・山代国造」の項に書かれています。

 

 

諸文献に依って按ずるに、大体山城国は、宇治一帯の地を許乃国(木国)と云い、愛宕郡には出雲郷があるなど、古昔、出雲神系たる山積族の経営した農地であったことを思わせる。

 

アタコ、アタカ、アタ等は、出雲神系と関係ある名である。

 

出雲国では、出雲郷と書いてアタカヤ、又はアタカエと読むと云う。

 

其地は、現島根県八束郡、抄の神戸郷に当り、出雲発祥の地であろう。

 

村内に阿多加夜神社を祀る。

 

祭神は、出雲風土記の「阿陀加夜努志多伎吉比売命」で、別名を稚国魂、下照姫と云い、海人系の下照姫神(別名比売許曽神、豊姫神)に相対する出雲神系掉尾の女神である。

 

(高群逸枝『母系制の研究』講談社文庫より)

 

戦前の書物でも、阿陀加夜努志多伎吉比売命は下照姫命であるということが本によく書かれていました。

 

京都の愛宕は、「於多岐」「於多木」とも読み、これもまた「タキ」が関係した地名であるようです。

 

阿太加夜神社 島根県松江市東出雲町出雲郷587

 

 

 

阿陀加夜努志多伎吉比売命は下照姫命ではないとする神社の伝承

 

阿陀加夜努志多伎吉比売命を祭神としている神社でも、下照姫命と同神としていない神社もあります。

 

市森神社  眞玉著玉之邑日女命の娘神

 

 

市森神社 島根県出雲市稗原町2571番地

 

 

『出雲国風土記』には、稗原地区に「加夜社(かやしゃ)」と、「保乃加(ほのか)神社」の2社があったと記されています。

 

その二つの神社の比定社が、市森神社です。

 

阿陀加夜努志多伎吉比売命の亦の名はわかりませんが、母神は、多紀理姫命ではなくて、朝山神社の祭神である眞玉著玉之邑日女命と大国主命の間の御子としています。

 

眞玉著玉之邑日女命(またまつくたまのむらひめのみこと)は、『出雲国風土記』に登場する神魂命の娘神です。

 

なお、朝山神社は、宇比多伎山に鎮座しており、これまた「たき」に関係があるのかもしれません。

 

阿陀萱神社  八上姫命の娘神

 

阿陀萱神社(あだかやじんじゃ) 鳥取県米子市橋本623 

 

 

ここの神社では、因幡のしろうさぎに登場する八上姫命が産んだ木股神を阿陀加夜努志多伎吉比売命としています。
母の里に帰る途中、ここに鎮座したという社伝となっています。

 

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