
秋鹿日女命の別名
秋鹿神社拝殿 島根県松江市秋鹿町2853

秋鹿(あいか)の由来
秋鹿と名づけるわけは、郡家の正北に秋鹿日女命(あきかひめ)が鎮座していらっしゃるからである。
島根県古代文化センター編 『解説 出雲国風土記』 今井出版
「和名抄」に安伊加(あいか)とあり、奈良時代は「あきか」であったが、音便現象によって平安時代に「あいか」と呼ばれたとされている。
『出雲国風土記』(733年)時代は、末尾に書かれる社格の高くない不在神祇官社であったが、現在は近くの式内社(御井社)を合祀するような神社に発展した。
秋鹿神社 扁額

姫二所大明神と称するは、御井神社の祭神罔象女命(みつはのめのみこと)と秋鹿日女命(あきかひめ)が坐すというところからだそうである。
ここの神社の由緒によると、秋鹿日女命は、一名蛤貝比売命(うむかひひめのみこと)とも言われているそうである。
秋鹿日女命は、天勅を蒙り、大己貴命の火傷を治療給はん為に此国に降り給ひて、其任を果し給ひ、御功績甚だ顕著であり、此の御功績ぞ即ち、大己貴命の遂に天下蒼生の為、大に利養厚生の道を開き給へし一の原動力と成れり。此の御縁由に依って永く此地に鎮座し給ふなり。
秋鹿神社ご由緒の一部
どういう伝承があって、蛤貝比売命と呼ばれるのだろう。
調べていくと、内山眞龍(うちやま またつ)という江戸時代中期の国学者の『出雲風土記解』(1787年)のようである。
内山眞龍の説
『出雲風土記解』にはどのように書かれているか。
秋鹿ハ、和名二訓ハ阿以加。按二秋鹿日女(アイカヒメ)ハ澳貝姫(オキガイヒメ)なり。おきかひハ和名に云う白貝、訓みハ於冨加比(オホカヒ)にて、
古事記二云う蛤貝(ウムカヒ)比賣と同じ。秋のあと澳(オキ)のおと通り、(アモ・オモ)(アレ・オレ)(アクビ・オクビ)、あいかの い と おきの き
常に通ふ。(アキタ・アイタ)(ハキハラ・ハイハラ)(ツキタチ・ツイタチ)爾雅二云う貝ノ水存るヲ、蛤ト曰フとも見えたり。
さて、秋鹿ハ澳貝にて即ち蛤貝(ウムカヒ)比賣なり。
此の神大穴持ノ神の焼所(ヤケド)をいやし給ヒし事、島根ノ郡法吉ノ郷に註。鈔二云う(秋鹿日女二所明神)社ハ、秋鹿村二在リ。蓋し此の社ノ南ノ側、古之郡家と為す耶。
附テ云う秋鹿日女と法吉ノ郷の宇武賀比比賣ハ、同名にて齏所も相近し。記にキサ貝比売ト蛤貝比賣並びて天降給し時も、功(イサヲ)も同しきを思へば、一神二名に傳きたるか。
宇武支(ウムキ)ハおきへがひにて、おきの約り。宇はへとメと通ふを武(ム)に轉じたり。キサ貝は加幾(カキ)なり。キサの約りか。カヒの約り、キなればバなり。
『出雲風土記解』写本 横山家蔵 甲本 翻刻 本文編 《上・中・下》発行 出雲の石神信仰を伝承する会
わかりにくい文章かもしれない。
おおざっぱに言うと、以下の論法である。
①秋鹿日女(アイカヒメ)=澳貝姫(オキガイヒメ)である。
②澳貝(オキガイ)は、『和名類聚抄』に云う白貝(オホカヒ)である。
③『爾雅』(じが)に云う蛤ということである。
④「ア」と「オ」、「キ」と「イ」は通じる音である。よって、あいかひめ=おきかいひめとなる。
⑤近くには島根郡法吉郷に出雲国風土記の記載の蛤貝比売命の別表記 宇武賀比比賣を祭る神社がある。同じ神を二つの神名で伝えてきた。
『和名類聚抄』に云う白貝ならば、白貝姫命で良いではないかと疑問が生まれてくる。
なぜならば、『和名類聚抄』には「蚌蛤(ほうこう)は一名含漿、和名『はまぐり』、海蛤は、和名『うむぎのかい』、文蛤は和名『いたやがい』」と分けて述べられており、白貝(オホカヒ)もまた別のところで述べられており、「爾雅云貝在水曰蛤也」とある。
本居宣長によれば、「蛤」の文字は誤字であって、古い本に「カン(虫+含)」のが本当で、陸に居る貝と比較して水の中にいる貝の総称を言ったにすぎないとのこと。
結局は、『和名類聚抄』をどう解釈するかという問題になってくる。
秋鹿日女命は、ばくぜんと貝の姫だったのかもしれない。ただ、『日本書紀』や『姓氏録』、『先代旧事本紀』を合わせて考えると、蛤=白貝(おおかい)だったという説も考えられる。
【参考】
『和名類聚抄』の貝 巻19・鱗介部第30
蚶 唐韻云蚶[乎談反弁色立成云和名木佐]蚌属状如蛤円而厚外有理縦横即今魽也
蚌蛤 兼名苑云蚌蛤[放甲二音蚌或作蜯和名波万久理]一名舎漿
海蛤 本草云海蛤一名魁蛤[和名宇無木乃加比]蘇敬注云亦謂之㹠耳蛤也
文蛤 新抄本草云文蛤[和名伊太夜加比]表有文者也
馬蛤 唐韻云蟶[音檉弁色立成云万天]蚌属也本草云馬刀一名馬蛤[和名上同]
蜆貝 文字集略云蜆貝[音顕字亦作顕和名之々美加比]似蛤而小黒者也
白貝 唐韻云蛿[古三反一音含弁色立成云於富本朝式文用白貝二字」爾雅云貝在水曰蛿也
貽貝 爾雅注云貽貝一名黒貝[貽音怡和名伊加比]
紫貝 兼名苑云紫貝一名大貝[和名宇万乃久保加比見本草]
錦貝 弁色立成云錦貝[夜久乃斑貝今案本文未詳但俗説西海有夜久島彼島所出也]
海髑子 崔禹錫食経云海髑子[和名夜子]此物含神霊見人即没海中似髑髏而有鼻目故以名之
鰒 四声字苑云鰒[蒲角反与雹同今案一音伏見本草音義]魚名似蛿偏著石内乾可食出青州海中矣本草云鮑一名鰒[鮑音抱和名阿波比]崔禹錫食経云石決明[和名上同]食之心目聡了亦附石生故以名之
『和名類聚抄』
さらに本居宣長の解説によれば(『古事記伝』)、「うむぎ」というのは古語で2枚貝の総称であって、いわゆる現代のはまぐりそのものを指すのではない。
赤貝姫とはまぐり姫が怪しい
『古事記伝』に書かれている、キサガイ姫とウムガイ姫の考察を読むと、現代の定説となっている「赤貝姫とはまぐり姫」ととらえる理解が怪しくなってくる。
蛤貝比賣(うむがひひめ)
先に述べた『古事記伝』の解釈によれば、ハマグリという個別種を言うのではなく、二枚貝の総称を言うと理解すると、『出雲国風土記』 島根郡法吉郷の記事もすんなりと理解できる。
ちなみに個別種のハマグリは、『和名類聚抄』では「蚌蛤(ほうこう)」を言う。
法吉(ほっき)神社 島根県松江市法吉町582
主祭神 宇武加比比売命

法吉郷(ほほきごう)。
郡家の正西一十四里二百三十歩の所にある。神魂命の御子、宇武賀比売命(うむかひめ)が法吉鳥(ほほきどり)になって飛んで来て、ここに鎮座なさった。だから、法吉という。
島根県古代文化センター編 『解説 出雲国風土記』 今井出版
はまぐりの姫が飛んできて、法吉鳥(ウグイス)になったというのは、想像しにくいが、二枚貝の総称ならば、ウグイスが飛んでいる形によく似たウグイス貝という種もあり、なぜここでウグイスと結びつくのが理解しやすい。
蛤貝=白貝説
『先代旧事本紀』では、大国主命受難伝説の項では、キサガイ姫は登場せず、黒貝姫(くろがいひめ)と蛤貝姫(うむがいひめ)が登場する。
黒貝姫とセットで、蛤=白貝姫と考えることもできる。
また、『古事記伝』に書いてあるように、『日本書紀』景行記には、景行天皇が東国を巡った時に、そこの海の白蛤をなますに作って造って奉った記事がある。
『新撰姓氏録』には白蛤ではなく「大蛤」と書いてある。つまり、白=大で白貝(おふかひ)は2枚貝のことを言う可能性もあるかもしれないし、2枚貝の一種を言った可能性もある。
支佐加比賣(きさかひめ)
実は『古事記』の写本には、蚶貝姫とは書いて無い。「討の下に虫」という字で書いてあり、蚶を「甘の下に虫」に書いたのを写し間違ったというのが、本居宣長の説である。
それは、新井白石の東雅の蚶の條に、この段を引いて蚶貝姫(きさがいひめ)と読んでおり、同じように「蚶」の誤りととらえたんじゃないかと本居宣長は思っている。
だから、そもそもキサ貝姫と読むのかさえもはっきりしていない。
加賀神社 島根県松江市島根町加賀1490
主祭神 枳佐加比売命

『出雲国風土記』には、嶋根郡加賀郷条に「支佐加比売命」、同郡加賀神崎条に「枳佐加比売命」「御祖支佐加比売命社」があり、神魂命の御子である支佐加比賣が登場するので、『古事記』に登場する、「討の下に虫」貝姫と同じ神と考えられている。
黒貝 説
さて、先の『先代旧事本紀』では、きさかひめ、きさがいひめではなく、黒貝姫であった。黒貝は、貽貝であり、「いがい」と言った。いわゆる現代のカラス貝と呼ばれる2枚貝である。
貽貝 爾雅注云貽貝一名黒貝[貽音怡和名伊加比]
『和名類聚抄』
象貝 説
象の古名が、これまた『和名抄』に「和名 伎左」と書かれている。
出羽の国の「きさかた(象潟)」という地名が、延喜式には「蚶方」と書いてある。それから考えると、キサガイは、象貝とも考えられる。
『出雲国風土記』では、枳佐加比売命が加賀神崎(加賀の潜戸)で、佐太大神を御生みになったという記事があるが、岩場なので砂場の赤貝とするよりも、カラス貝等の岩場の貝の方がふさわしい気がする。
また、佐太大神が猿田彦命とするならば、象神でもあるので象貝と考えることもできる。
象に似た貝というものもあるが、蚶貝姫を2枚貝の姫と仮定すると、1セットで、巻貝の姫と考えることも可能である。ただ、巻貝の古名は、本草和名(918年頃)によると螺(つび)である。
まとめ
定説であるキサガイ姫=赤貝の姫、ウムギ姫=はまぐりの姫であるが、『古事記伝』を読み原点に立ち返ると、その定説自体が揺らいでくる。
黒貝・白貝のコンビの女神の可能性もあるし、巻貝・二枚貝の可能性もある。
どちらにせよ、コンビの貝の女神であることには間違いがない。