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現代の狛犬、その正体は唐獅子だった!?――神社の参道に鎮座する神獣の歴史を探る

写真は、真名井神社(島根県松江市山代町84)の出雲式狛犬(構え型) 慶応三年(1867年)の寄進

神社の参道や拝殿の前で、私たちを静かに見守る一対の石造狛犬。あまりにも身近な存在であるがゆえに、その正体や来歴について深く考える機会は多くありません。

しかし実は、現在「狛犬」(こまいぬ)と呼ばれている像は、もともと獅子と狛犬という二種類の神獣の組み合わせであり、さらに時代をさかのぼれば唐獅子――すなわちライオンに由来する存在でした。

本記事では、狛犬の起源と変遷をたどりながら、

  • いつの時代に狛犬こまいぬに角があったのか
  • 獅子しし狛犬こまいぬが一対になったのは、いつ頃か
  • どのようにして現在の「狛犬こまいぬ一対」の姿に変化したのか

を歴史的に整理していきます。

狛犬には、実は一本の角が生えていた

現在、神社で目にする狛犬こまいぬの多くは角(つの)を持っていません。しかし中世以前の作例を見ると、狛犬こまいぬには一本のつのが生えていたことがわかります。

■ 八重垣神社(島根県松江市)の木彫り狛犬

松江市に鎮座する八重垣神社やえがきじんじゃ随身門ずいしんもんには、室町時代に制作されたとされる木彫りの獅子・狛犬像が安置されています。

向かって右側は、口の開いた(阿吽の阿形)の「獅子」です。
向かって左側は、口を閉じた、(阿吽の吽形)の「狛犬」です。そして、頭には一本の角(つの)が生えています。(※狛犬は鼻が折れています。)
 

八重垣神社の狛犬と獅子は、きわめて古式ゆかしい姿を今に伝えています。

この像は、「獅子しし」と「狛犬こまいぬ」が明確に区別されていた時代の姿を示す、貴重な文化財です。

■ 籠(この)神社(京都府宮津市)の石造狛犬

同様の形式は、京都府宮津市に鎮座する籠神社にも見ることができます。

鎌倉時代の作と伝えられる石造狛犬は、

  • 一方が獅子・・・角はなく、体の模様がうずを巻いています。
  • もう一方が角をもつ狛犬  体の模様はうずを巻いていません。

という構成で、左右でデザインがかなり違いますし、八重垣神社と同じ構想で造られています。右側の「獅子」は、現代の狛犬にデザインが近いですが、左側の狛犬は、獅子ではなく、「犬」を想像させます。

籠神社の狛犬と獅子 左手が狛犬(吽形) 右手が獅子(阿形)

これらの例から明らかなように、

本来、狛犬とは「角をもつ霊獣」であり、獅子とは別の存在だった

のです。

狛犬の歴史を探る

狛犬のルーツをたどると、日本列島をはるかに超え、古代オリエントの世界にまで行き着きます。

以下、時代順にその変遷を見ていきましょう。

1)古代オリエントの神獣としてのライオン一対

人類史において、ライオンは最古級の神獣のひとつです。

古代メソポタミアやエジプトでは、

  • 王権の象徴
  • 太陽の化身
  • 神殿や王宮を守護する存在

として、ライオン一対像が門の両脇に配置されました。

「聖域の入口を左右一対で守る」という思想は、すでにこの時代に確立されていたのです。

古代ヒッタイト都市ハットゥシャの遺跡 ライオン門  紀元前13世紀頃造られたとされています。

Bernard Gagnon投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 3.0, リンクによる

2)シルクロードを伝ってインドへ――仏の座を守る獅子一対

このライオン信仰は、西方交易路を通じてインドへ伝わります。

サルナートの獅子柱頭
仏教に帰依したマウリヤ朝のアショーカ王が紀元前 250年頃、インドのサルナートに建てた柱頭

出典 アショーカ王の獅子柱頭

インドにおいてライオンは、

  • 釈迦族の象徴
  • 仏法を説く声を「獅子吼(ししく)」と称する

など、仏教思想の中に深く組み込まれていきました。

「獅子吼(ししく)」とは?
百獣の王であるライオン(獅子)が吠えると、他の獣たちが皆恐れをなしてひれ伏すという描写になぞらえて、釈迦(お釈迦様)が堂々と教えを説く様子を表した仏教用語です。

釈迦牟尼が座る「獅子座」
北インド、ウッタル・プラデーシュ州、マトゥラー、クシャーナ朝(1〜3世紀) -クリーブランド美術館

そして、仏陀の玉座仏塔の入口には、

仏の教えを守護する獅子一対

が置かれるようになります。

3)シルクロードを東へ――仏教とともに伝わる獅子像

やがて仏教は中央アジア、中国へと伝播します。

中国では、虎はいるけれど、実在のライオンを知らなかったため、

  • 想像上の獣
  • 霊獣化した獅子

として独自の造形が生まれました。これが後に「唐獅子」と呼ばれる姿です。

そして中国王朝では、

  • 皇帝の玉座
  • 宮殿の門

を守護する存在として、獅子一対像が定着していきました。

4)飛鳥時代――仏教とともに日本へ伝来

6世紀、仏教が日本へ公式に伝えられると、仏像・経典・仏具とともに、獅子像の思想も日本へもたらされました。

当初、獅子は寺院内部に置かれ、

  • 仏座の前
  • 須弥壇しゅみだんの左右

で仏法を守護する存在とされました。つまり、獅子は神社に特有の神獣ではなく、まずはお寺に置かれた神獣だったのです。

具体例

〇法隆寺「玉虫厨子(たまむしのずし)」の台座・・・ 舎利供養図に一対の獅子が描かれています。
〇正倉院宝物「木画紫檀棊局(もくがしたんのききょく)」の足
〇薬師寺金堂 薬師三尊像の台座・・・四方を守る四神とともに、力強い「獅子」がレリーフとして刻まれています

5)平安時代――獅子と狛犬の誕生

平安時代になると、日本独自の変化が起こります。

宮中紫宸殿ししんでんにおいて、

  • (外から見て)右:獅子
  • (外から見て)左:狛犬

という一対の神獣が天皇の玉座を守る存在として配置されました。

このとき登場するのが、

  • 角をもつ狛犬
  • 角をもたない獅子

という組み合わせです。

即位礼 猪飼嘯谷筆
絵自体は、近代の作品ですが、宮中の伝統が描かれています。(御帳台に白い狛犬と黄色の獅子)


「狛犬(こまいぬ)」という名称は、諸説ありますが、高麗(朝鮮半島)由来の異国風の犬を意味すると考えられています。

こうして、

獅子+狛犬という日本独自の対の形式

が成立しました。

6)中世――寺院・神社へ広がる神獣信仰

鎌倉時代から室町時代にかけて、獅子・狛犬像は宮廷文化から武家社会や宗教空間へと広がります。

この時代の特徴は、

  • 寺院や神社に安置される
  • 初期は本殿・仏座の近くに置かれる(参道ではない)

という点です。

八重垣神社や籠神社の作例は、まさにこの時代の姿を伝えています。

7)近世――参道の守護神へ、そして獅子一対へ

江戸時代になると、獅子・狛犬は次第に神社の外部空間へ移動します。

  • 拝殿前
  • 鳥居の内側
  • 参道の入口

など、神域と俗界の境界を守る存在となりました。

この頃までは、

  • 左:狛犬(角あり・口閉じ)
  • 右:獅子(角なし・口開き)

という形式が残っていました。

しかし次第に角の意味が忘れられ、

  • 両方とも獅子風の姿
  • 阿形・吽形の口の違いのみ

という現在一般的な「獅子一対」の姿へと変化していきます。これを現代では狛犬と呼んでいます。

おわりに――狛犬とは何者なのか

私たちが何気なく目にしている狛犬は、

  • 古代オリエントのライオン信仰
  • インド仏教の神獣思想
  • 中国王朝の唐獅子文化
  • 日本宮廷の儀礼空間

という、数千年に及ぶ文化の旅路の終着点に立つ存在です。

かつては、

獅子と狛犬という異なる神獣が一対で並んでいた

という事実を知ると、神社の参道に立つ石像の見え方も少し変わってくるのではないでしょうか。
次に神社を訪れたときは、ぜひ狛犬の額や姿に注目してみてください。
そこには、日本文化が受け継いできた長い記憶が、静かに刻まれているのです。

参考文献

塩見一仁 著 『狛犬誕生』 澪標 みおつくし 発行  (Amazonにリンクしてます。)

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