なぜなのか、石見国(島根県の西部)の中心部から西にかけて、沿岸部には、和珥氏系の神社がたくさん分布しています。
祭神というものは、時代の変化に伴い、変わっていくものですが、古い神社名に、氏族名が記述されているので、和珥氏系(和珥族)であろうと推定されると思われます。
石見国の和珥族の神社一覧
小野氏、柿本氏は、和珥氏の分系氏族です。
柿本神社は、万葉歌人・柿本人麻呂(かきのもとひとまろ)を祀る神社です。
他の上げた式内社の神社とは違い後代のものですが、一覧に揚げました。
江津市
- 津門神社 ( つとじんじゃ ) 島根県江津市波子町イ-1018
- 柿本人麻呂神社(かきのもとのひとまろじんじゃ)島根県江津市都野津町1750
浜田市
- 伊甘神社(いかんじんじゃ、いかむじんじゃ)島根県浜田市下府町935
- 石見天豊足柄姫命神社(あめのとよたらしからひめのみことじんじゃ) 島根県浜田市殿町77
- 櫛色天蘿箇彦命神社(くしろあめのこけつひこのみことじんじゃ) 島根県浜田市久代町1559
益田市
- 櫛代賀姫命神社(くしろかひめじんじゃ) 島根県益田市久城町963
- 小野神社(おのじんじゃ) 島根県益田市戸田町イ-858
- 高津柿本神社(たかつかきのもとじんじゃ)島根県益田市高津町イ2612-1
- 柿本神社(かきのもとじんじゃ) 島根県益田市戸田町イ856番地
次にひとつひとつ詳しく述べていきます。 和珥氏系の『新撰姓氏録』の一覧はこちら 『新撰姓氏録』における和珥族の系譜
まずは、先に和珥氏の系譜の外観です。
和珥氏の系譜の概略
和珥氏の始祖の系図(日本書紀)

和珥氏の末裔の系図(新撰姓氏録)

津門神社(つとじんじゃ)
津門神社 拝殿

延喜式神名帳
津門神社 石見国 那賀郡鎮座
現代の祭神
田心姫命、米餠搗大使主命 (合祀)大年神 倉稻魂命
社記によると、田志姫命は、寛平3年(887)筑前国宗像から田心姫命を勧請とのこと。
新撰姓氏録記載の氏族
摂津国
津門首 櫟井臣同祖 米餅搗大使主命之後也
皇別氏族の津戸首は、確かに米餅搗大使主命(たがねつきのおおおみ)は、和珥氏です。
しかし、神別氏族(天神)の津門首は、饒速日命(にぎはやひのみこと)の物部系です。
河内国
津門首 同神六世孫伊香我色男命之後也 ※ 同神は、神饒速日命
伊甘神社(いかんじんじゃ、いかむじんじゃ)
伊甘神社 本殿

延喜式神名帳
伊甘神社 石見国 那賀郡鎮座
現代の祭神
天足彦国押人命
新撰姓氏録記載の氏族
和泉国
猪甘首 天足彦国押人命之後也
国府跡

ここの神社の境内に「国府址」の石碑がありますが、ここに国府(石見国の役所)があったように思ってしまいます。
石碑は、1928年に伊甘神社近くの光明寺の下に建てられ、広浜(こうひん)鉄道工事の折に、現在の場所に移転したもののようです。
石見国の国府跡は、いまだ発掘されておらず、奈良時代の那賀郡伊甘郷にあったものと思われていますが、ここの下府町附近の説も一つの説です。
伊甘神社自体が、かつては北東側の吹上浜(ふきあげはま)から移転した伝承もあります。
しかし、伊甘神社が国府の中心的な神社であったことには間違いがありません。
石見天豊足柄姫命神社(あめのとよたらしからひめのみことじんじゃ)

延喜式神名帳
石見天豊足柄姫命神社 石見国 那賀郡鎮座
現代の祭神
天豊足柄姫命 (配祀)豊受姫命
石見国を開拓し、衣食の道を授けたとされる神です。
邑智郡邑南町八色石の龍岩神社に、天豊足柄姫命の伝説が残されています。
水を降らせない八色石の退治を八束水臣津野命に頼み成功するものの、天豊足柄姫命は石と化してしまったという話です。⇒八束水臣津野命と石見国 【龍石伝説】
新撰姓氏録記載の氏族
『新撰姓氏録』には見られない神名です。
『神社覈録 下編』(1870年)には、天豊足柄姫命 の別名として、「又云襲足姫命」と書かれています。 ⇒ 国立国会図書館デジタルコレクション『神社覈録 下編』380コマ
「世」が抜けていますが、すなわち、世襲足姫命=天足彦国押人命の母です。
また、伴信友著『神名帳考証』(1813年)にも、なにげに考昭天皇の皇后 世襲足姫命のことが書かれています。 ⇒ 国立国会デジタルコレクション 伴信友全集 第1 (国書刊行会刊行書)258コマ
ワニと石神の関係
「豊」とくれば、まずは、竜宮城の豊玉姫が浮かびます。海神の娘でワニのかっこうで、鸕鶿草葺不合尊を産みます。
その次に浮かぶのが、神功皇后(気長足姫尊)の妹の豊姫です。
別名、與杼比売命(よどひめのみこと)とも言い、また『肥前国風土記』では世田姫の名で登場します。
此の川上に石神あり、名を世田姫といふ。 海の神鰐魚を謂ふ年常に、流れに逆ひて潜り上り、 此の神の所に到るに、海の底の小魚多に相従ふ。 或は、人、其の魚を畏めば殃なく、 或は、人、捕り食へば死ぬることあり。 凡て、此の魚等、二三日住まり、還りて海に入る。(『肥前国風土記』佐嘉郡)
海神のワニが世田姫(豊姫)の石神を慕って、川を登ってくるという神話です。
天豊足柄姫命が石神になってしまったというのも、そういう神話が何か影響しているではないでしょうか。
他に、似た名前として、天豊財重日足姫尊(あめとよたからいかしひたらしひめのみこと)という名前の斉明天皇(皇極天皇)がいます。
初め用明天皇の孫高向王と結婚し、後に舒明天皇(息長足日広額天皇)の皇后となります。
百済を支援するための戦いの準備のために、筑紫の朝倉宮に遷幸した天皇で、何かとイメージが神功皇后とダブります。
櫛色天蘿箇彦命神社(くしろあめのこけつひこのみことじんじゃ)
延喜式神名帳
櫛色天蘿箇彦命神社 石見国 那賀郡鎮座
現代の祭神
彦竟邪都命住吉大神 大年大神
「彦竟邪都命は古代石見地方に栄えた櫛色族の祖 天足彦国押人命の後裔」と神社の案内板に書かれている。
新撰姓氏録記載の氏族
和泉国
櫛代造 天足彦国押人命之後也
『和名類聚抄』(平安時代)を見ますと、岡山県の「備中国」に櫛代郷がありました。
石見国や和泉国ばかりでなく、いろいろな国に櫛代族が分布していたのかもしれません。
元大字久代字稲葉に鎮座していました。地名の久代は、櫛色から発生しているようです。
益田市久城鎮座の櫛代賀姫命神社とも関係が深いです。同じ櫛色族(櫛代族)の神と考えられています。
櫛代賀姫命神社(くしろかひめじんじゃ)
櫛代賀姫命神社 本殿

延喜式神名帳
櫛代賀姫命神社 石見国 美濃郡鎮座
現代の祭神
櫛代賀姫命 応神天皇
※ 応神天皇は、中世に勧請されたようです。
江戸時代は「浜八幡宮」とも称していました。
新撰姓氏録記載の氏族
和泉国
櫛代造 天足彦国押人命之後也
浜田市の櫛色天蘿箇彦命神社と同じく櫛代族とされています。
遷宮の歴史
社伝によると、大浜大谷浦に鎮座していたそうです。
この浦には、女島・男島・中身島という島があり、神代に、この島へ天降ったといいます。
天平五年(七三三年)丑五月管長の命に より創建し、大同元年(八〇六年)、石見観察使 藤原緒継が鎌手大浜浦より現在地久城明星山に遷宮しました。
スクモ塚古墳
スクモ塚古墳 後方部から後円部を見る

櫛代賀姫命神社近くには島根県最大の前方後円墳「スクモ塚古墳」があります。
今までは、松江市の山代二子塚(やましろふたごづか)古墳(墳丘長約94メートル)が島根県最大とされていましたが、近年の発掘調査から全長が少なくとも96メートルの前方後円墳であることが2022年に確認されました。
松江市や出雲市の大きな古墳が、後期にであるのに対して、円筒埴輪(はにわ)の特徴から古墳時代前期末〜中期初頭(4世紀後葉)とされています。
石見国の西部にかなり力を持った豪族がいたことになります。
もしかすると、櫛代族の先祖であったのかもしれません。
小野神社(おのじんじゃ)
小野神社 拝殿

延喜式神名帳
小野天大神之多初阿豆委居命神社 石見国 美濃郡鎮座
大変長い神社名です。
『式内社調査報告』(大庭良美 執筆)によると読みは、「おのの あめの おほかみ したそ あついこ(の)みことじんじゃ」だそうです。
現代の主祭神
小野天大神之多初阿豆委居命
新撰姓氏録記載の氏族
左京
小野朝臣大春日朝臣同祖彦姥津命五世孫米餅搗大使主命之後也
山城国
小野朝臣孝昭天皇皇子天足彦国押人命之後也
社伝によれば、
宇多天皇の御宇寛平三年、小野山に勧請された古社とのことです。
しかし、祭神の長い同じ神名の神様は探しても見当たりません。
小野天大神之が形容詞で「多初阿豆委居命」が神名かもしれませんが、わかりません。
境内の案内板にはこのように書かれていました。
小野郷はその昔小野族と柿本族が開いた古代文明の発祥の地である。
小野は春日族の支族で遠く大和国からこの地に移住し開拓した。
小野の地名はその族名に由来し小野神社はその始祖を奉斎したのである。
小野郷には、戸田柿本神社や高津柿本神社があります。