
袖師ヶ甫の岩崎鼻

売布神社の説明板によれば、白潟(上記図の3)の地の前に、宍道湖南岸の袖師ヶ甫の岩崎鼻(上記図の2)に売布神社は鎮座していた。
さらにその前には、もっと宍道湖の西の方(上記地図の1)にあったのではないかと言われている。
当社の元の鎮座地は、古代名の意宇の入海(今の宍道湖)の西部湖岸と考えられ、潮の流れや地形の変動に伴い遷座され、岩崎鼻(袖師ガ浦)に鎮座した時代もあり、
潟地が広がって白潟の地が形成されて現在地に遷座されたのが十三世紀頃と考えられ、「白潟大明神」とか、十五世紀には「橋姫大明神」とも称され、水郷「松江」の産土神として鎮座しました。
売布神社の説明板
旧社地遥拝の儀礼と伝えられる七月十二日の「船御幸神事」がある。船で宍道湖を西方約1キロメートル移動し、宍道湖の南岸、円成山の方向に向かい船上から遥拝する。
円成山
宍道湖の北岸から見た円成山
近代的な建物が、島根県立美術館で、その向こう側の右手の山である。左手の山が床几山(しょうぎさん)

この山の麓に円成寺があるから円成山という。
この円成寺は、松江開府の祖─堀尾吉晴の堀尾家の菩提寺であった。元は、「龍翔山瑞応寺」と号し、慶長16年(1611年)能義郡富田より城安寺を移し、現在の天倫寺のところにあった。
初代松江藩主 堀尾忠晴は、13歳にして松江城初代城主となり、(堀尾吉晴は、息子の忠氏に家督を既に譲っており、松江城の完成目前に死亡した。)近世の城下町建設の礎を作り、寛永10年(1633年)35歳の若さで病気で亡くなった。
堀尾家には跡継ぎが無く、その後、藩主京極忠高が寛永12年(1635年)瑞応寺を現在の場所に移し、堀尾忠晴公の法号「円成院」をもって、「鏡湖山 円成寺」と改称した。円成寺には忠晴公の墓がある。
松江城主 堀尾忠晴(ただはる)公の墓がある円成寺 島根県松江市 栄町792

この円成寺のある山には元々、現在は、寺町に移転している望湖山龍覚寺があった。
『雲陽誌』に「曹洞宗の禅刹なり。望湖山と云う。本尊釋迦。應永年中 青砥義清といふ者建立」と書かれた。(※應永年間は、1394~1428 )
お寺の由緒によれば、宍道湖より上がった鎌倉時代の大日如来像を本尊とし、真言宗として開山。売布神社とともに在ったそうだ。
永享5年(1433)鳥取大山町退休寺三世無余空圓大和尚をまねき曹洞宗として開山とのこと。青砥義清は、売布神社宮司家の御先祖であるという。
売布神社とともにあったというが、『大山寺縁起』(応永5年─1398年)の時点で、橋のたもとに既に神社が描かれているので、すで売布神社は白潟にあったわけで、お寺の近くにあったのかは疑問であるが、売布神社の故地というべきところに建立されたのは間違いない。
13世紀より前の袖師ヶ甫の岩崎鼻
江戸初期の松江の図
江戸初期の松江村の図

上記の地図は、雑賀郷土史編集実行委員会発行『雑賀の今昔』に載っていた図で、私が赤丸と青い線を加えている。
元々の図は、島根県高等学校社会科教育研究会編「島根の地理図集」に載っていたもの。
現在の地理とは違っており、松江の平野部のほとんどが、湖の中州か、湿地帯であった。左側の海岸端が、だいたい現在JRが走っているところである。
問題の袖師ヶ浦の岩崎鼻だが、左手の(西側の)突き出たところが円成山で、出っ張っているから、そこを岩崎鼻と言ったと思われる。
伝承によれば、二本松というところまでくいこんだ、入り江だったらしいのでなお突き出た鼻のような地形だったのだろう。
奈良時代以前は、青い線から上は宍道湖の中か、あるいは人が住めないような低い土地であったものと私は想像する。
才の神さん
才の神が描かれているが、現在も青い道ー山根道の南側に才の神が現存している。
『雲陽大数録』(1751-1763)には、松江郷方境として「松江郷方境才ノ神マデ三ノ丸ヨリ拾七丁四拾六間」とあり、白潟あるいは松江村と、乃木村の境界神であったと地誌に書かれている。
江戸時代は、才の神さんの後ろは森だった。
松江市栄町の才の神さん

二本松
『松江八百八町内物語=白潟の巻=』(松江八百八町刊行の会 発行)からの抜粋である。
これは鎌倉のころから明治の始めにかけてここに二本の巨松があったところから俗に二本松と呼ばれていたものである。そのころは漸く白潟の地形が整ったときであった。
洞光鼻のふところに抱かれた入り江には、湖をゆく舟が二本松めあてに集まりこの入り江に舟をやったという。
『松江八百八町内物語=白潟の巻=』(松江八百八町刊行の会 発行)
鎌倉末期の松江 想像図 『松江八百八町内物語=白潟の巻=』より

売布神社が、もとはここらあたりにあったという説もある。上の地図の鳥居が描いてある場所だ。
舟の出入りする入り江つまり港が、二本松あたりにあったわけである。
売布神社の祭神(水戸神)が示すように、港の近くに鎮座してしていたのだろう。
参考文献
- 雑賀郷土史編集実行委員会『雑賀の今昔』
- 松江八百八町刊行の会『松江八百八町内物語=白潟の巻=』
- 谷川健一編『日本の神々 7』 白水社
- 白根尚彦 編集・発行 『島根の寺院』 有賀書房