【出雲の起原】 天甕津日女命は神魂伊豆乃賣神か。


伊努神社 島根県出雲市美野町382 祭神 天甕津日女命

 

 

 

天甕津日女命(あめのみかつひめのみこと)は、『出雲国風土記』においては、出雲の祖神ともいうべき八束水臣津野命の子である赤衾伊努意保須美比古佐倭気命(あかぶすまいぬおおすみひこさわけのみこと)の御妃で登場する。
また『尾張国風土記』(逸文)においては、阿麻乃弥加都比女として、自らを祀れば垂仁天皇の御子であるホムツワケ皇子がしゃべりだすという皇后の夢に登場する神である。

 

この天甕津日女命は、「アメノ」という頭の字がついているので、どこか渡来の神かと思っていたが、出雲国東部の神魂命(カムムスヒノミコト)の神であると思われる。さらには、出雲の名称の起原である女神である可能性も考えられる。

 

 

出雲郡伊努郷の場所

 

『出雲国風土記』において天甕津日女命は、夫神と合わせ、秋鹿郡伊農郷と出雲郡伊努郷に登場する。どちらも「いぬごう」と読む。
ここの場所は、鼻高山の麓にあたり、出雲国風土記時代は、陸地化しているが、弥生時代は宍道湖の西北端に位置していたようである。初期の四隅突出型墳丘墓が発見された青木遺跡が近くにある。

 

久奈子神社境内より見える出雲市の街  ※白いドーム状のものは出雲ドーム

 

 

 

港神である天甕津日女命

 

宍道湖の西北端に接していたことを考えるならば、ここに港があったはずである。
「東国諸国造 伊勢津彦之裔」という系図には、天甕津日女命「水戸神」と記述されているのだ。
ここの港の神として、この天甕津日女命が祀られていた可能性がある。

 

関東の国造(伊勢津彦裔)の系図抜粋  中田憲信編『諸系譜』より  → 国立国会図書館デジタルコレクション『諸系譜』27ページ

 

 

伊努神社に合祀されている神社

 

伊努神社 島根県出雲市西林木町376

 

 

伊努神社自体が、式内社であるが、他に4つの式内社も合祀されている。
その合祀されている式内社とは、

 

同社神魂伊豆乃賣神社
同社神魂神社
同社比古佐和氣神社
意布伎神社

 

「同社同社比古佐和氣神社」とあるから、式内社伊努神社は、祭神が娘の伊努姫命であった可能性もある。

 

さて、注目点は「神魂」(カムムスヒ)の付いた神名の神社が二つもあることである。
天甕津日女命の系譜が、風土記には書かれていないが、神魂命系の可能性が強い。
そして、この「伊豆乃賣」(イズノメ)の神とは何か。

 

伊豆乃賣  本居宣長説

 

この伊豆乃賣の神というのは、『古事記』の伊弉諾命(いざなぎのみこと)の禊(みそぎ)の場面に登場する神である。

 

…前略…  ここに詔りたまひしく、「上つ瀬は瀬速し。下つ瀬は瀬弱し。」とのりたまひて、初めて中つ瀬に堕(お)り潜(かづ)きて滫(すす)ぎたまふ時、成りませる神の名は、八十禍津日神(やそまがつひのかみ)。次に大禍津日神(おほまがつひのかみ)。この二神は、その穢繁國(けがらはしきくに)に到りし時の汚垢(けがれ)によりて成れる神なり。次にその禍(まが)を直(なほ)さむとして、成れる神の名は、神直毘神(かむなほびのかみ)。次に大直毘神(おほなほびのかみ)。次に伊豆能賣神(いづのめのかみ)。…後略…

 

江戸時代の国学者・本居宣長の『古事記伝』によれば、大祓の祝詞で瀬織津比咩が禍津日に、また氣吹戸主が大禍津日に当たっているので、この神が速開都咩(はやあきつめ)に相当するとしている。

 

つまりは、伊豆乃賣神=速秋津姫命=水戸の神ということになり伊豆乃賣神=天甕津日女命となる。(松江市の売布神社では、水戸神として速秋津姫命を祀っているが、あそこも元は天甕津日女命であったのかもしれない。)

 

本居宣長によると、「いづ」は「齋(いわ)い清める」という意味であり、「いづ」は「明きづ」に通じ、この世のあらゆる凶事、悪事はみな黄泉の穢れから起こり、禊ぎを行なうことにより、古代では良きことを「明るい」、「清い」、「直い」と言ったとしている。

 

伊豆能賣神を祀っているのは、出雲市西林木町の伊努神社以外に私は知らない。
しかし、天甕津日女命を祀る神社は、島根半島の大部分の広範囲に及ぶ。これを多具国と言う説と、多久神社(平田と松江の鹿島町付近2つある)の周辺の狭い地域をさす説もある。しかし、『尾張国風土記』には大国主命の代わりの出雲大神であるかのような登場の仕方を考えると、出雲国の以前が、多具(久)国と呼ばれていたのではないかという想像も成り立つ。

 

「いづのめ」という言葉は「いづも」に似ているけれど、もしや出雲の言葉の起原が、天甕津日女命に由来しているものではないかと想いが生まれた。

 

神魂命の系譜

 

『出雲国風土記』の神系を見ると、神魂命の系譜が実に7柱も登場する。
『出雲国風土記』では高御魂神系は登場しない。

 

八尋鉾長依日子命(やひろほこながよりひこ) 島根郡生馬郷
支佐加比売命(きさかひめ)島根郡加賀郷
宇武賀比売命(うむかひめ)島根郡法吉郷
天御鳥命(あめのみとり)  楯縫郡 
綾門日女命(あやとひめ)出雲郡宇賀郷
天津枳値可美高日子命(あまつきちかみたかひこ)出雲郡漆沼郷  別名 薦枕志都治値(こもまくらしつぢち)
眞玉著玉之邑日女命(またまつくたまのむらひめ)神門郡朝山郷

 

他には、須佐乎命系7柱 八束水臣津野命(大国主命含む)系 7柱である。(須佐乎命と八束水臣津野命は数えない)

 

神魂命の御子といえば、天神の側でいっけん国つ神の出雲神とは関係がないように思われるが、記紀神話を陰陽五行の観点で考えると、高御魂神は、高天原の父・東を表わし、神魂命は、葦原の中津国の母(御祖)・西を表わすと言われる。
となれば、出雲族が天神でないとはいい切れない。

 

神魂(かもす)神社 島根県松江市大庭町563
主祭神は伊弉冊大神(イザナミ)

 

 

古代史の世界では、東の意宇(おう)の勢力と西の杵築(きづき)の勢力が古墳時代後期には別系統で存在したとされる。
そういう観点からすれば、東の意宇の勢力が、神魂命の系統で、西の八束水臣津野命(大国主命含む)系が国つ神の系統とすると、陰陽学に考えても、つじつまが合う。

 

もしや、松江市大庭町の神魂神社は、神社名の通り、元は神魂命を祭っていたのではなかろうか。

 

なお、出雲臣が杵築の方に移転してきて出雲市の地名の起源になったと言われている。だから、出雲の名前の元々の起原は東部である。

 

 

補足  天御梶日女命の系図

 

『出雲国風土記』には、天甕津日女命と似た名前の女神である天御梶日女命(あめのみかじひめ)が登場する。
阿遅須枳高日子命の后神なので、天甕津日女命とは夫が違うが同じ神だと説が強い。

 

しかし、夫神の系譜から考えると、祖父の后神と孫の后神であって、同じ女神とは思えない。
弥生時代は単婚ではなかったのかもしれないが、いくらなんでも祖父と孫のお嫁さんが同じとは想像しがたい。
同じ系統の女神で、似たような名前で表現したかったのではないかなと思う。

 

安房国忌部家系という古書があり、天御梶日女命の名前が載った系図がある。55ページに載っている。

 

→ 国立国会図書館デジタルコレクション 安房国忌部家系

 

それを見て前半部分だけ図にした。

天背男命の娘神で、天津羽々命という。
「一云」というから本当に、天御梶日女命と同神だったかわからない。
それに、阿遅須枳高日子命の后神ではなくて、八重事代主命の后神と書いてある。

 

しかし、この女神も天甕津日女命と同じく神魂命の系譜であることは、間違いない。

 

まとめ

 

①伊努郷は弥生時代には宍道湖の西端で、港(水戸)があった可能性が高い。
②本居宣長『古事記伝』によれば、伊豆乃賣神=速秋津姫命である。
③速秋津姫命=水戸の祭神である天甕津日女命は、祓いの神である神魂伊豆乃賣神社の祭神だった可能性が高い。
④天甕津日女命は、神魂命の系譜の神である可能性がある。
⑤神魂命が意宇という出雲国東部の神だとすると、天甕津日女命が出雲の起原の可能性もある。

 

< 戻る     > 次へ

 

 このエントリーをはてなブックマークに追加 
page top